◇◆◇日々のみ言葉
2023年6月13日(火)
◎聖書箇所【マルコの福音書5章21節~24節】
5:21 イエスが舟でまた向こう岸へ渡られると、大ぜいの人の群れがみもとに集まった。イエスは岸べにとどまっておられた。
5:22 すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、
5:23 一生懸命願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいで下さって、娘の上に御手を置いてやって下さい。娘が直って、助かるようにして下さい。」
5:24 そこで、イエスは彼と一緒に出かけられたが、多くの群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
この記事は、三つの共観福音書のすべてに書き記されています。ところで、マタイの福音書における平行記事には、マルコとルカの記事と異なる記事が書かれています。
『イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいで下さって、娘の上に御手を置いてやって下さい。そうすれば娘は生き返ります。」(マタイ9:18)』と。
つまり、マタイでは、ヤイロの娘は死んだことになっています。しかし、マルコとルカでは、まだ死んではいないのです。
『「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいで下さって、娘の上に御手を置いてやって下さい。娘が直って、助かるようにして下さい。」(マルコ5:23)』
『するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。(ルカ8:41~8:42前節)』
このような場合、どちらが正しいのでしょうか。聖書は、一言一句誤りなき神の言葉であることを、私たちは信じています。しかし、三つの共観福音書を比較しますと、明らかに、間違っている気がするのです。
しかし、一番大切な真理とは、ヤイロの十二歳になる一人娘が、主イエスによって、死んでいたのが生き返ったという事実なのです。多少の違いは、枝葉の違いに過ぎないと、尾山先生は言われています。つまり、聖書が何を伝え教えているのか、そのメッセージを聞きなさい、と言うことです。》