◎本日の聖書箇所【使徒の働き28章23節~31節】(新約聖書p.295下段真中)
28:23 そこで彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは、神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けた。
28:24 ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった。
28:25 互いの意見が一致しないまま彼らが帰ろうとしたので、パウロは一言、次のように言った。「まさしく聖霊が、預言者イザヤを通して、あなたがたの先祖に語られたとおりです。
28:26 『この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。
28:27 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返ることもないように。そして、わたしが癒やすこともないように。』
28:28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。」
28:29 「本節欠如」
28:30 パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、
28:31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
◎メッセージ【その後のパウロ】
《ローマにやって来たパウロは、自費で借りた一軒家に住むことを許されます。そこで、約二年ほど、カエザルの裁判を持つことになります。
さて、パウロは、ローマ市内に在住しているユダヤ人の長老たちを集めました。パウロは、神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書から、主イエスについて、彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けたのです。
しかし、ある人たちはパウロが語ることを受け入れましたが、他の人たちは信じようとはしませんでした。ここで、パウロは、イザヤ書の言葉を引用して言いました。
「ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。」と。
この後の29節は、本文欠如となっていますが、『彼がこれらのことを話し終えると、ユダヤ人たちは互いに激しく論じ合いながら、帰って行った。』と言う節を加えている写本もあります。
さて、『パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。』と言う文章で、使徒の働きは終わっています。
ところで、ローマにおけるこの二年間は、一体どのような意味を含んでいたのでしょうか。、私は、行動を共にした、医者ルカによる福音書と使徒の働きの執筆の監修の為ではないかと考えています。また、エペソ、ピリピ、コロサイ、そしてピレモンへの手紙が、執筆されたのも、この時でした。
さて、その後のパウロですが、紀元62頃に、皇帝ネロの裁判を受け、無罪となり釈放されます。それからの足取りについては聖書には書かれてはおりません。しかし、伝承では、ヨーロッパの果て(イスパニア)にまで伝道に行ったことが伝えられています。ヨーロッパの果てとはスペインのことです。
紀元64年に、ローマの大火災が起こります。皇帝ネロは自分が放火したと疑われた為、ローマにいるクリスチャンに罪を着せ、クリスチャンの大迫害が起こります。
その迫害の中、パウロは捕らえられるのです。そして、ローマの獄中において、牧会書簡を執筆し、紀元66年から68年の間に、斬首され殉教します。
ダマスコ途上において、復活の主イエス・キリストと出会った紀元34年頃、その日から殉教に至るまで、信仰と召命の道を、すなわち「異邦人の使徒」として、忠実にパウロは走り抜いたのです。私たちクリスチャンのお手本となる為に。》