• 2023年10月22日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書11章14節~44節】(新約聖書p.205上段右側)
    11:14 そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。
    11:15 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、私がその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
    11:16 そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」
    11:17 イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。
    11:18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほど離れたところにあった。
    11:19 マルタとマリアのところには、兄弟のことで慰めようと、大勢のユダヤ人が来ていた。
    11:20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。
    11:21 マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
    11:22 しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今でも知っています。」
    11:23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
    11:24 マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」
    11:25 イエスは彼女に言われた。「私はよみがえりです。いのちです。私を信じる者は死んでも生きるのです。
    11:26 また、生きていて私を信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
    11:27 彼女はイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」
    11:28 マルタはこう言ってから、帰って行って姉妹のマリアを呼び、そっと伝えた。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」
    11:29 マリアはそれを聞くと、すぐに立ち上がって、イエスのところに行った。
    11:30 イエスはまだ村に入らず、マルタが出迎えた場所におられた。
    11:31 マリアとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行った。
    11:32 マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
    11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、
    11:34 「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。
    11:35 イエスは涙を流された。
    11:36 ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」
    11:37 しかし、彼らのうちのある者たちは、「見えない人の目を開けたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」と言った。
    11:38 イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。
    11:39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」
    11:40 イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」
    11:41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、私の願いを聞いてくださったことを感謝します。
    11:42 あなたはいつでも私の願いを聞いてくださると、私は知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたが私を遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
    11:43 そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」
    11:44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」

    ◎メッセージ【ラザロのよみがえり】
    《主イエス様が死人をよみがえらせたというケースは、聖書には3つ記されています。一つは会堂管理人ヤイロの一人娘であり、12才であったことがわかります。不思議なことにヤイロの娘のケースについては、3つの共観福音書のすべてに書かれています。
     そして、次のケースは、ナインのやもめの一人息子です。このケースは、ルカだけが書き記しています。
     興味深い事に、この2つのケースは、死んですぐのよみがえりのパターンのようです。ヤイロの娘にいたっては、ヤイロが主イエス様の所に懇願に来た時には、まだ生きていたのです。よって、死んだ直後のことになります。
     また、ナインのやもめの一人息子の場合には、死後2・3時間経過したと言われていて、当時のユダヤの仕来りによって、埋葬される直前のことでした。
     そして、最後の3つ目のケースが「ラザロのよみがえり」です。これは、「ヨハネの福音書」だけに記載されています。ラザロの場合は、死んでから、すでに四日たっているのです。遺体は腐敗していて、虫が湧いている可能性は十分にありました。
     ところで、ベタニアのマルタとマリアの姉妹、そしてその弟ラザロと主イエス様は、公生涯が始まる前から、親しい間柄でした。バチカン市国の図書館にある「一世紀の公的記録」には、そのことを証明する記事が記載されています。
     それゆえ、主イエス様の所に使いが来て、「主よ。ご覧下さい。あなたが愛しておられる者が病気です。」と言うことは、まことに真実なのです。
    「ラザロよ。出て来なさい。」
     ラザロはよみがえりました。これは、主イエス様が復活されることの「ひな形」であると言われています。
     今回は、特別メッセージをこの後に語らせていただきました。しかし、内容については、個人的なことですので、掲載を控えさせていただきました。》

Comments are closed.