◇◆◇日々のみ言葉
2023年10月24日(火)
◎聖書箇所【マルコの福音書10章42節~45節】
10:42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
10:44 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『10:42 イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたもよく知っているとおり、異邦人の支配者たちは、人々の上に立って、権力を振っています。それが偉い人なのです。
10:43 しかし、神の国に籍を持っているあなたがたが、そうであってはなりません。あなたがたのうちで偉くなりたい人は、むしろみんなの召使いになりなさい。
10:44 あなたがたのうちで、頭になりたい人は、みんなの奴隷になりなさい。
10:45 私がこの世に来たのも、だれかに仕えてもらうためではなく、むしろ人々に仕えるためですし、また多くの人々を救うのに、犠牲として自分の命を投げ出すためです。」』
今日は、前回の聖書箇所と共に、主のお言葉について考えて見ましょう。主はご自身が、この世界に遣われた目的と任務について語られています。それが、最後の言葉に示されています。
「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(新改訳)
「私がこの世に来たのも、だれかに仕えてもらうためではなく、むしろ人々に仕えるためですし、また多くの人々を救うのに、犠牲として自分の命を投げ出すためです。」(現代訳)と。
この時点において、十二弟子たちには、まだ何のことなのか、さっぱり分かりませnでした。主の「十字架」と「復活」は、まだ彼らの目には隠されていたからです。
しかし、「最後の晩餐」において、主は、弟子たちの足を洗うことによって、仕える者の姿勢とは何かを、身を持って教えて下さいます。》