• 日々のみ言葉 2024年1月13日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2024年1月13日(土)

    ◎聖書箇所【マルコの福音書14章22節~24節】
    14:22 それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これは私の体です。」
    14:23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らは皆その杯から飲んだ。
    14:24 イエスは彼らに言われた。「これは私の契約の血です。多くの人のために流されるものです。」

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『14:22 一同が食事をしていると、イエスはパンを取り、祝福してから、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これは十字架上で裂かれる私の体を表わしています。」
     14:23 また、杯を取り、感謝をささげてから、彼らに与えられた。彼らは皆、その杯から飲んだ。
     14:24 イエスは彼らに言われた。「これは、私が十字架に掛かって、あなたがたの罪を赦すために流す血を表わしています。これこそ、救いの契約にほかなりません。」』

     マルコは、「みなが食事をしているとき」と書き記しています。実はマタイもルカも同じです。しかし、これですと、過越の食事のすぐ後に、主イエスは、聖餐式を制定されたことになります。
     それですと、イスカリオテのユダは聖餐式の時に、主イエスと他の弟子たちと共にいて、聖餐式に授かったことになってしまいます。
     それだからこそ、使徒ヨハネは、イスカリオテのユダが出て行く場面を、後に詳細にわたって書き記したのではないでしょうか。
     学者の意見は、イスカリオテのユダが、聖餐式の恵みに授かったとする者と、授かる前にヨハネ・マルコの家から出て行ったと言う、二つの意見に分かれています。
     しかし、聖書を一人で翻訳された、私の師である尾山令仁先生は、授からなかったと判断されていました。私もその説を支持しています。

     ところで、主イエスは、この時始めて、聖餐式について言及しておられます。しかし、パンについては、すでに「五千人の給食」において、または、「四千人の給食」において、弟子たちの目の前で、パンを裂かれたのです。
     主イエスから、裂かれたパンをひざまずき、両手で持ったかごで受け取り、群衆に配った弟子たちは、まさしく、聖餐式において、主イエスのことを思い出したに違いありません。
     また、十字架上において、ローマ兵が槍で主の腹部を刺し貫いた時に、血と水が大量に噴き出した場面を、ペテロとヨハネは、思い出したに違いないのです。

     聖餐式は、真に「主の十字架」を、再び思い起こす為にある聖なる儀式なのです。主の十字架あってこその、私たちです。私たちが、恵みによって救われたのは、主イエス・キリストの十字架によるのです。》

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