◇◆◇日々のみ言葉
2024年1月12日(金)
◎聖書箇所【マルコの福音書14章21節】
14:21「確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。三つの共観福音書には、主の「裏切り者がいる」という言葉の後には、聖餐式の場面が描かれています。しかし、ヨハネの福音書には、主イエス様とイスカリオテのユダとのやり取りが描かれているのです。
ヨハネによりますと、
『イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、私を裏切ります。」
弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた。弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。そこで、シモン・ペテロが彼に合図をして言った。
「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」
その弟子は、イエスの右側で席についたまま、イエスに言った。
「主よ。それはだれですか。」
イエスは答えられた。
「それは私がパン切れを浸して与える者です。」
それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。
「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのか知っている者は、だれもなかった。ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え。」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。(ヨハネ13:21~13:30)』となっています。
この箇所から判断しまして、イスカリオテのユダは、聖餐式には出ていないことは明白です。聖餐式は、正しい者だけに許される聖なる儀式なのです。
よって教会では、バプテスマを受けた者だけが、その恵みに預かれることは、聖書から判断して正しいことであると思われます。》