◎本日の聖書箇所【ルカの福音書5章8節~11節】(新約聖書p.118上段右側)
5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」
5:9 彼も、一緒にいた者たちもみな、自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。
5:10 シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」
5:11 彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。
◎メッセージ【すべてを捨てて】
《先週の続きとなります。主イエスはシモン・ペテロに言います。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、お言葉ですので、網を下ろしてみましょう。」
ここでは、シモンは主イエスのことを「先生(ラビ)」と呼んでいます。しかし、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになったのです。そこで別の舟にいたヤコブとヨセフに助けを求めます。すると、彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き上げた所、両方とも沈みそうになったのです。
これを見たシモンは驚きと共に、主イエス様の足もとにひれ伏して言います。
「主よ、私から離れて下さい。私は罪深い人間ですから。」
魚が捕れる前は、シモンは、主イエスのことを「先生」と呼んでいました。しかし、ここでは、「主」となっています。しかも、彼は、主イエスの足もとにひれ伏したのです。この瞬間、何が起こったのでしょうか。それは、悔い改めです。彼は、聖霊によって罪が示されたのです。主が、十二使徒のリーダーを、シモンと決められたのは、この時ではないでしょうか。
イザヤは、こう言っています。
『いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「私は、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。(イザヤ57:15)』と。
また、シモン自身も、自らの経験を基に、手紙においてアドバイスをしています。『神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる。』」と。
へりくだることが大切なのです。さて、シモンの悔い改めと礼拝を受けた主イエスは、彼に言われます。
「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」と。
ここから、十二弟子としての、真の働きがスタートします。そして、彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨てて主に従ったのです。
そして、この時から、三年数ヶ月が過ぎた時のことです。受難週に入る少し前、ペテロは主に言いました。
「ご覧下さい。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。それで、私たちは何をいただけるでしょうか。」
『「まことに、あなたがたに言います。人の子がその栄光の座に着くとき、その新しい世界で、私に従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めます。また、私の名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子ども、畑を捨てた者はみな、その百倍を受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。」』と主イエスは言われたのです。
献身とは、何もかも捨てて神学校に行く事だけではありません。もちろん、それは素晴らしいことであり、十分に価値あることです。かつて、多くの若者がその道を選びました。
しかし、献身とは、神様とその人とのケースバイケースであり、環境や置かれている立場を考慮して、主が、最も相応しい道へと導かれるのです。大切なことは一つです。それは「主に従うこと」なのです。》