• 2024年6月2日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書5章17節~26節】(新約聖書p.118上段左側)
    5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人たちと律法の教師たちが、そこに座っていた。彼らはガリラヤとユダヤのすべての村やエルサレムから来ていた。イエスは主の御力によって、病気を治しておられた。
    5:18 すると見よ。男たちが、中風をわずらっている人を床に載せて運んで来た。そして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとした。
    5:19 しかし、大勢の人のために病人を運び込む方法が見つからなかったので、屋上に上って瓦をはがし、そこから彼の寝床を、人々の真ん中、イエスの前につり降ろした。
    5:20 イエスは彼らの信仰を見て、「友よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
    5:21 ところが、律法学者たち、パリサイ人たちはあれこれ考え始めた。「神への冒瀆を口にするこの人は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」
    5:22 イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いて言われた。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。
    5:23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
    5:24 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」
    5:25 すると彼はすぐに人々の前で立ち上がり、寝ていた床を担ぎ、神をあがめながら自分の家に帰って行った。
    5:26 人々はみな非常に驚き、神をあがめた。また、恐れに満たされて言った。「私たちは今日、驚くべきことを見た。」

    ◎メッセージ【中風の人のいやし】
    《この奇跡は、三つの共観福音書に掲載されています。マルコの福音書の平行記事には、
    『数日たって、イエスが再びカペナウムに来られると、家におられることが知れ渡った。』と書かれていて、場面はシモン・ペテロの家であることが分かります。
    すると、四人の男たちが、中風をわずらっている人を寝床に載せて運んで来たのです。しかし、大勢の人のために、家の中に入ることが出来ず、屋上に上って瓦をはがし、そこから彼の寝床を、主イエスの前につり降ろしたのです。
    彼らがしたことは、とんでもないことですし、非常識の何ものでもありません。おそらく真下にいた主イエスと弟子たち、また集まっていた人々も、ほこりと土で真っ白になったに違いありません。誰もが怒りに燃えたと思われます。しかし、主だけは、違っていたのです。
    『「友よ、あなたの罪は赦された」』
    主はなぜ「罪が赦された」と言われたのでしょうか。実は、当時のユダヤにおいては、何か欠陥があって生まれてきたり、また、中風のように、突然、体が不自由になってしまった場合などは、罪の結果であると考えられていたからです。
    それを聞いた、律法学者やパリサイ人たちは心の中で思ったのです。「神への冒瀆を口にするこの人は、いったい何者だ。神お一人のほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」
    主イエスは、見抜いて言われました。
    「あなたがたは心の中で何を考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのとどちらが易しいか。しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために。『起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。』」
    すると彼はすぐに立ち上がり、寝床を担ぎ神をあがめながら自分の家に帰って行きました。
    どちらがやさしいのでしょうか。「あなたの罪は赦された」と言ったとしたら、それはその人の心の問題でもあり、その人が、心から悔い改めて、救われとしても、それを外側からすぐに判断することは、かなり難しいことです。
    しかし、『「起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」』と、言うとしたら、パリサイ人たちや律法学者たちには、非常に難しいことです。なぜなら、もしそれが起こらなかったとしたら、誰の目にも明らかになって、「偽予言者」になってしまうからです。
    実は、「あなたの罪は赦された」と言う方が、癒やされることよりも、遙かに難しいことなのです。中風が癒やされた事は、大いなる奇跡です。しかし、人が救われることの方が、遙かに偉大な奇跡なのです。それほどに、「あなたの罪が赦された」と言うことは、難しいことなのです。これは、神様にしか出来ないことは、本当のことです。
    この大いなる奇跡を、目の当たりに見ながらも、パリサイ人や律法学者たちは、主イエスを信じることが出来ませんでした。主は、彼らの為にも、この奇跡を成されたのです。
    中風をいやされた人は、寝床をたたんで帰って行きましたが、残された四人には、一階の大掃除と屋根の修繕が待っていました。もちろん十二弟子たちもです。彼らは、何を語りながら、屋根を直したのでしょうか。主の恵みと哀れみと、その深い愛ではないでしょうか。》

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