◇◆◇日々のみ言葉
2024年6月3日(月)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙3章12節~15節】
3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火と共に現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『3:12 だから、そのキリストという土台の上に建てなければならないのだが、その上になら、どんな材料を使っても建てることが許される。その材料として金、銀、宝石のような価値あるものを使う人もいれば、木やわらのようなつまらぬものを使う人もいる。
3:13 しかし、やがてその働きの真価が現われてくる。それは、キリストの裁きの日である。その日には、建築家がどのような働きをしたかがよく分かる。
3:14 そして、キリストという土台の上に建てた働きが、最後まで残るなら、それにふさわしい報いを受けることになる。
3:15 もし最後に何も残らなかったら、その働きはむなしいものとなる。しかし、その人自身は、主を信じていたので救われる。』
この箇所は、新改訳は、誤訳とも言えるでしょう。つまり、説明が足りないのです。「金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら」と訳していますが、これらのものがすべて、つまらぬものであると言う意味に取れてしまうのです。
それゆえ、現代訳では、価値あるものとつまらぬものとを分けて、その意味を明確にしています。
しかし、これは、あくまで「たとえ」なのです。それでは、「金、銀、宝石」とは何でしょうか。それは、み言葉であり、主への信仰であり、かつ従順であることです。
そして、「木、草、わら」とは、この世の知恵、考え、風習、あるいは常識などを表わしています。
もちろん、私たちは、この世に生かされている以上、常識の中に生きることは大切なことです。しかし、この世とは、一線を引かなければなりません。なぜなら、私たちは、この世のものではなく、御国に属する神の子どもとされたからです。明日も続きです。》