• 2024年12月22日クリスマス礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書2章8節~20節】(新約聖書p.110下段右側)
    2:8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
    2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
    2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
    2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
    2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
    2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
    2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
    2:15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
    2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
    2:17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
    2:18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
    2:19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
    2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

    ◎メッセージ【クリスマスメッセージ(御使いの役割とは?)】
    《主イエスの生涯において、御使いが多く関わっていることについて、今日はお話したいと思います。
    まず、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来ます。
    「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。」
    そして、今度は、マリアの婚約者である夫ヨセフに、夢で御使いが告げ知らせます。
    「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
    そして主イエスが誕生されたその日、ベツレヘム郊外の羊飼いの所に御使いが現われます。
    「恐れることはありません。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
    この後、羊飼いたちは、ベツレヘムにおいてみどりごなる主イエスを見つけ出します。
    そして、主イエスの公生涯の終わり、ゲッセマネの園において、主が血の汗を流しながら祈っておられると、ルカでは、『御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。』とあります。
    極めつけは、復活の時です。一番最初に主の復活を知ったのは、見張り番をしていた四人のローマ兵たちです。御使いが彼らに現われたのです。その後、マグダラのマリアと女たちにも御使いは現われて、主のよみがえりを伝えることになります。
    そして、主がオリーブ山において昇天された時にも、御使いは弟子たちに現われるのです。
    「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
    つまり、主イエスの生まれる前から、十字架、そして復活と昇天にいたるまで、このように御使いが深く関わっているという事実が分かります。
    神様は主イエスの生涯において、重要な場面で御使いを遣わされたように、私たちクリスチャン一人一人にも、実は重要な場面で、あるいは危険が迫っていた時に、御使いを遣わしている、と言うことなのです。
    ヘブル書には、『御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。』と、書かれています。
    実は、私たちだけが知らないのです。御使いであったことが分からないのです。》

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