◇◆◇日々のみ言葉
2024年12月22日(日)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙13章11節】
13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『13:11 それは、ちょうど子どもと大人の例でよく分かると思う。私たちが子どもの時には、子どものように話したり、考えたり、判断していた。しかし、大人になったら、そういうことはしなくなる。これと、ちょうど同じである。』
当たり前のことですが、私たち大人は、以前は子どもでした。しかし、大人になった時には、自分が以前子どもであったことを忘れてしまいがちなことも事実です。
私たちの主イエス様は、大人の姿でこの地上に現われたのではなく、私たちと同じように、みどりごとして、マリアからお生まれになって下さったのです。
そして、母マリアと義父ヨセフによって、育てられました。しかし、その小さな体に宿っておられたのは、創造主なる神様の第二位格、神の御子なるお方でした。
私は、みどりごとしてお生まれになって下さった時にも、主はすでにご自身が誰であるのかを十分に知っておられたに違いないと考えています。
しかし、主は、私たちと同じ様に子どもとして、少年として、青年として、やがて壮年としての人生を送られたのです。
30歳になられた時に、すなわちイスラエルにおいて、ラビとして立てる年齢に達した時に、公生涯を始められました。
主イエス様は、私たちの人生がどのようなものなのか、まさしく子ども時代から壮年に至るまでの過程を体験され、悩みも苦しみも全部知っておられます。
クリスチャンとして生まれた時には、誰であっても霊的には、みどりごです。しかし、いつまでもみどりごでいるわけはなく、その信仰も成長して行かなくてはなりません。明日も同じ箇所からとなります。》