◇◆◇日々のみ言葉
2024年12月23日(月)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙13章11節】
13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載します。
『13:11 それは、ちょうど子どもと大人の例でよく分かると思う。私たちが子どもの時には、子どものように話したり、考えたり、判断していた。しかし、大人になったら、そういうことはしなくなる。これと、ちょうど同じである。』
誰であっても、主にある兄弟姉妹は、主イエス・キリストに出会い、このお方を救い主として信じ受け入れ、バプテスマを受けた者は、新しくクリスチャン(キリスト者)人生を歩み始めることになります。
信仰的には、まさしく「ヨチヨチ歩き」です。この時には、育ての親が必要なことは言うまでもありません。その役を担うのが、信仰の先輩である兄弟姉妹であり、また牧師や伝道師というわけです。
そして、生まれたばかりのクリスチャンが、堅実な信仰を持つ為にも、導き手として、見守って行かなければならないのです。
とにかく、聖書を読むことを勧める必要があります。み言葉が、その人を信仰的な大人として育てて行くことになるからです。
この期間につまずいてしまいますと、教会から離れて行く場合が多いのです。一度離れてしまいますと、教会に戻って来るには、かなりハードルが高くなってしまいます。
特に、先輩である兄弟姉妹は、彼らの為に「取りなしの祈り」をすることを覚えておく必要があります。
そして、信仰的にすでに成熟したクリスチャンの兄弟姉妹は、信仰の幼い兄弟姉妹を決して裁いてはならないことを、肝に銘じて置かなければなりません。さばきからは何も生まれないからです。》