◎本日の聖書箇所【創世記18章17節および20節~33節】(旧約聖書p.26下段左側)
18:17 【主】はこう考えられた。「私は、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18:20 【主】は言われた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪はきわめて重い。
18:21 私は下って行って、私に届いた叫びどおり、彼らが滅ぼし尽くされるべきかどうかを、見て確かめたい。」
18:22 その人たちは、そこからソドムの方へ進んで行った。アブラハムは、まだ【主】の前に立っていた。
18:23 アブラハムは近づいて言った。「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。
18:24 もしかすると、その町の中に正しい者が五十人いるかもしれません。あなたは本当に彼らを滅ぼし尽くされるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか。
18:25 正しい者を悪い者とともに殺し、そのため正しい者と悪い者が同じようになる、というようなことを、あなたがなさることは絶対にありません。そんなことは絶対にあり得ないことです。全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか。」
18:26 【主】は言われた。「もしソドムで、私が正しい者を五十人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」
18:27 アブラハムは答えた。「ご覧ください。私はちりや灰にすぎませんが、あえて、わが主に申し上げます。
18:28 もしかすると、五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町のすべてを滅ぼされるのでしょうか。」主は言われた。「いや、滅ぼしはしない。もし、そこに四十五人を見つけたら。」
18:29 彼は再び尋ねて言った。「もしかすると、そこに見つかるのは四十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。その四十人のゆえに。」
18:30 また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは三十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。もし、そこに三十人を見つけたら。」
18:31 彼は言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、そこに見つかるのは二十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その二十人のゆえに。」
18:32 また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」
18:33 【主】は、アブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の家へ帰って行った。
◎メッセージ【アブラハムの祈り】
《ある時、アブラハムは三人の旅人をもてなしました。その一人は、まだ肉体をもたれる前の主イエスだと言われています。あとの二人は御使いです。ソドムには、この二人の御使いがロトに会うことになります。
ところで、アブラハムは、なぜ主であると分かったのでしょうか。それは以前お会いしているからです。創世記17章1節には、アブラムが99歳になった時、主はアブラムに現われて下さいました。その時にアブラムからアブラハムと言う名を与えられたのです。
「私は、自分がしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」
それから、アブラハムの取りなしの場面となります。最初は50人、45人、40人、30人、20人、10人と、正しい者の数の条件が減らされて行きます。残念ながら、ソドムには、10人もの正しい人がいなかったことを私たちは知っています。
それどころか、ロトとその家族も実は正しい人ではなかったのです。彼らが奇跡的に滅ばされずに救い出されたのは、アブラハムの取りなしの祈りの結果なのです。
主は、弟子たちに言われました。
「その日には、あなたがたは私に何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。私の名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えて下さいます。今まで、あなたがたは、私の名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。」と。
私たちが救われたのは、必ず誰かの取りなしの祈りのおかげであることは、間違いありません。》