◇◆◇日々のみ言葉
2024年8月31日(土)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙8章12節~13節】
8:12 あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。
8:13 ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『8:12だから、あなたがたがもし弱いクリスチャンの良心を傷つけてしまうなら、それはキリストに対して罪を犯すことになる。
8:13 そういうわけで、もし偶像に捧げた肉を食べることで、ほかのクリスチャンをつまずかせるのであれば、私は人をつまずかせないために、今後一切そのような肉を食べない。』
私は、高校教師の二年目の時に、主イエス様と超自然的に出会い、救われました。それまでの私は、ワインが大好物で、今思いますと、まさしくアルコール依存症であったと思います。しかし、何故か分別はしっかりとしていて、二日酔いに至るまでは、飲みませんでした。それは、量を決めていたからです。750㎖の半分以上は飲みませんでした。しかし、ワインボトルを二日で空けていたことは事実です。結構、お金を使いました。だいたい、一本1,000円のテーブルワインを二日で飲みきるのですから、一ヶ月約、15,000円はとぶわけです。
教会に行きますと、皆さんご存じのように、酒とタバコは罪だと教わります。しかし、カトリック教会では、どちらも公認されています。神父や司祭は、聖体拝領の前に、聴衆の代理として、ぶどう酒を拝領します。しかもそれは、葡萄ジュースではなく、本物のワインなのです。よって、神父や司祭の中には、アルコール依存症の者も決して少なくはないということです。
高校教員と言う、肉体的にもまた精神的にも、かなりハードな状況で、ワインなしでは、私は紛れもなく鬱病になったと思います。
しかし、やがて、私はワインから完全に解放されることになります。それは、聖霊様によって真理を教えていただいたからです。つまり、飲む自由も、また飲まない自由も与えられていると言うことなのです。飲んでも良いのです。そして飲まなくても良いのです。選べるのです。自分で選択出来るのです。
カトリックの神父や司祭が、どれほど厳しい苦行をされているのか、プロテスタントの牧師は知っているのでしょうか。神父や司祭がワインを飲み、タバコを吸ったとしても、どうして罪なのでしょうか。もちろん、飲まない方が体に、特に肝臓には良いのです。吸わない方が、遙かに良いのです。パッシブ・スモーキングもなくなりますし、肺がんにもなりません。
私が言いたいことは、助け主であられる聖霊様だけが、真の自由を下さいます。》