◎本日の聖書箇所【ローマ人への手紙5章1節~5節】(新約聖書p.304上段真中)
5:1 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
5:3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
◎メッセージ【神の約束】
《本日のメッセージは、東京プレヤーセンター代表の和氣敏治先生にしていただきました。 ローマ人への手紙のこの箇所には、神様の三つの約束がなされています。一つ目は、「神様との平和を持ってい」るということです。
主イエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちは、神に敵対する者から神の子どもとされたのです。よって、神様との間に平和が与えられています。
また、主イエス様が、「平安があなたがたにあるように。私が与える平安は、世が与えるのとは違います。」と言われたように、私たちには素晴らしい平安が与えられているのです。
そして二つ目は、「神の栄光にあずかる望み」を喜んでいると言うことです。これは、私たちが、主イエス・キリストと似た者に変えられて行くことを意味しています。日々日々新しくされ、主の似姿にへと変えられて行くのです。
そして三つ目は、「苦難さえも喜ぶ」ことが出来ると言うことです。詩篇119篇にはこのように書かれています。
『苦難と窮乏が私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは私の喜びです。(詩篇119:143)』と。
どうして苦難を喜ぶことが出来るのでしょうか。それは、私たちに与えられた聖霊様によって成されることなのです。
「なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている」とパウロは言っています。
ここで使われている「注がれている」という言葉の原語は、実は、「怒濤のごとく」、すなわち「大量に注がれる」と言う意味の原語が使われています。少しばかりではないのです。
そして、「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」とパウロは言っています。これこそが、主イエス・キリストに似た者とされ、神の栄光にあずかることなのです。》