• 日々のみ言葉 2015年10月14日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年10月14日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書6章42節~43節】

    6:42 人々はみな、食べて満腹した。
    6:43 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。

    ◎ショートメッセージ

    《『するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。 (マルコの福音書6:41)』

     男と女と子どもをあわせて、二万人以上はいたと言われている人々は、何と、みな食べて満腹したのである。
     なぜ、人々は満腹できたのか。
     もちろん、主イエスによる奇蹟の何ものでもない。
     しかし、その奇蹟が起こされる為には、二人の人物の献身的な働きが必要であった。

     一人は、シモン・ペテロの弟アンデレである。

    『その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
     ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」
     イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。
     ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。
     イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」(ヨハネ福音書1:35~1:42)』》

     アンデレの働きは地味のようであるが、人を主イエスの御もとに連れて来るという賜物があった。彼の一番大きな功績は、まさにこれである。やがては、使徒たちの指導者となる兄シモンを主イエスに引き合わせたこと。そして、4つの福音書のすべてに書かれている「五千人の給食」の奇蹟において、「五つのパンと二匹の魚」を持っていた少年を、主イエスに引き合わせたことにある。

     この二つの大きな働きでも、アンデレの名前は、まさしく新約聖書に、そして永遠に留められるべきものであると言っても良い。

     さて、この奇蹟を主イエスが起こされる為には、もう一人の人物の献身的な態度が必要であった。おそらく母親が作ってくれたであろう自分の弁当を、すなわち「五つのパンと二匹の魚」を、主に捧げた少年である。もちろん彼も空腹であったはずだ。
     これは、あくまで私自身の推測によるのであるが、この少年は、主イエスがお腹を空かれたと思い、自分の食べる弁当を、差し出したのではないだろうか。つまり献品である。

    「自分はまだ我慢できる。しかし主イエス様は、ずーっと働き通しで、さぞかしお腹が空いたに違いない。ぜひイエス様に食べていただき、元気になってもらい、また人々の為に、尊い働きをしていただこう。」と、彼が、そう思ったとしても不思議ではない。

     ともあれ、この二人の尊い働きによって、「五千人の給食」は行なわれたのである。

     人々は皆満腹した。当然、主イエスも、そして十二使徒も、また残りの弟子たちも、もちろん少年も、食べて満腹したのである。
     
     そればかりではない。聖書は、余ったパン切れと魚を集めたと書かれてあるのだ。

     これは何を意味するのか。つまり必要以上に、パンと魚を主イエスは、創造されたと言うことである。そして、余ったパン切れを集めると、何と12かごに一杯になったと言う。

     なぜ12なのか。

     そう。十二使徒へのご褒美である。
    働く者が報酬を得ることは、当然のことなのだ。

     この余った12かごは、何を意味しているのか。

     十二使徒は、自分たちの職業を全て捨てて主イエスに従ったのである。要するに、「肉の糧」を得る手段を放棄したのだ。彼らは、人々からの献金や献品で、日々食べて暮らして来たのである。

     主イエスに、何もかも捨てて従った弟子たちには、主イエスが責任を持って、養ってくださると言うことである。
     男の数だけでも五千人はいたと言われている群衆さえも、奇蹟によって「肉の糧」を与えてくださった神の御子、主イエス様。
     どうして、このお方が、ご自分の働きの為に、すべてを捨てて従って来た弟子たちを、飢えさせることがあろうか。
     ただ満腹させただけではない。
     十二使徒の一人一人に、かご一杯のパンというご褒美さえも用意される、慈悲深きお方なのである。

    『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
     こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
    だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイの福音書6:31~6:33)』》

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