◇◆◇日々のみ言葉
2024年12月13日(金)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙13章1節~2節】
13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『13:1 たとい私がどんなにいろいろな言葉を語ることができたとしても、愛がなければ、それはうるさい騒音にすぎない。
13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、また、不可能に見えることを可能にするほどの大きな信仰を持っていたとしても、愛がなければ何の値うちもない。』
ここで、パウロは「たとい」と条件をつけて話していることに注目してほしいのです。パウロは、非常に優秀な人物でした。おそらく数カ国語を話したに違いありません。また、だれよりも多くの異言をも語ったに違いないのです。新改訳では、「御使いの異言」と訳していますが。
さて、ここで「愛がないなら」と言うことはどのような意味なのでしょうか。まず、異言とは、個人的に神様に語る言葉なのです。よって、多くの場合には、語っている本人にさえ、その意味が分からないものなのです。それだからこそ、解き明かしをする者が必要になって来るわけです。
「そのような言葉を発しながら祈っている姿を、始めて教会を訪れた人は、どのように感じるだろうか」と言うことです。
つまり、「他の人々に配慮しなさい」と言うことなのです。明日も同じ箇所からです。》