※本日の聖書箇所(詩篇136篇1節~9節・23節~26節)旧約p.1077
136:1 【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。主の恵みはとこしえまで。
136:2 神の神であられる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。
136:3 主の主であられる方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。
136:4 ただひとり大いなる不思議を行われる方に。主の恵みはとこしえまで。
136:5 英知をもって天を造られた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。
136:6 地を水の上に敷かれた方に。主の恵みはとこしえまで。
136:7 大きな光る物を造られた方に。主の恵みはとこしえまで。
136:8 昼を治める太陽を。主の恵みはとこしえまで。
136:9 夜を治める月と星を。主の恵みはとこしえまで。
136:23 私たちが卑しめられたとき主は心に留められた。主の恵みはとこしえまで。
136:24 そして主は私たちを敵から解き放たれた。主の恵みはとこしえまで。
136:25 主はすべての肉なる者に食物を与える方。主の恵みはとこしえまで。
136:26 天の神に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。
◎メッセージ【主に感謝せよ】
《さて、今日の聖書箇所、詩篇136篇は、結構長い詩篇で、しかも、この詩篇は、聖都エルサレムに巡礼する時に、導き手が最初の句を歌い上げますと、次に会衆が、声をそろえて唱和するという形態で作られています。
1節から4節は、まさに主なる神様への感謝が謳われています。この詩篇が謳われた時には、まだ主イエス様は存在しておりません。しかし、現在の私たちは、これが誰を指しているのか、十分に知っているわけです。
1節から9節までに、「感謝せよ」と言う言葉が5回も出て来ます。これは、単に心に思うのではなく、実際に口で告白することを意味しています。
私たちが口にする言葉は、非常に大切であり重要です。使徒パウロは、
『あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行ないも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません。また、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談もそうです。これらは、ふさわしくありません。むしろ、口にすべきは感謝の言葉です。』と、勧めています。
私たちが口にすべき言葉は、不平不満ではなく、世間話や無駄話ではなく、神様に対する感謝の言葉なのです。
さて、感謝出来ることが多くあることは素晴らしいことですが、人生においては、すべてが順風満帆ではなく、時には予期せぬ試練の中に置かれる場合もあります。そんな時に、私たちは、どうしたら良いのでしょうか。使徒パウロは、
『いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。』と、勧めています。。
すべてのことについて、すなわち感謝出来ないことも感謝しなさいということです。
このことを、私たちは、「賛美のいけにえ」と呼んでいます。たとえ、心がついて行かなくても、感謝しなさいと言うのです。なぜそうするのでしょうか。それは、神様の堅いお約束があるからです。その約束とは、
『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことが共に働いて益となることを、私たちは知っています。』とのことです。この言葉は、パウロ自身が体験し確信したことの真理だと言えます。またパウロは、
『あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていて下さいます。』とも勧めています。
だからこそ、私たちは、神様に感謝するのです。何時、如何なる時も、いかなる場所においてもです。2024年も、感謝のうちに見送ることが出来そうです。》