◇◆◇日々のみ言葉
2024年12月30日(月)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙14章1節~3節】
14:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。 14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
14:3 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。14章1節も再度ですが掲載します。
『14:1 この愛を自分のものとするために、熱心に追い求めなさい。愛を熱心に求めているなら、次に、御霊の神が与えてくださる霊的賜物、特に神の御心について語る預言ができるように求めなさい。
14:2 一般の人には分からない特別な言葉で語る者は、人々に語るのではなく、神に語るのだ。それは、だれも理解できないのに、奥義を語っている。
14:3 ところが、預言の場合は、人々の分かる言葉で語り、教会のためになる。』
昨日は、14章1節から考えて見ました。今日は、その続きとなります。ここで「異言」が登場します。
以前にも書きましたが、異言には二つの解釈があります。一つは、世界にある言語の一つを聖霊に満たされて語ることです。世界には七千以上の言語があると言われています。その人は何を語っているのかは分かりませんが、その言葉を話す人には分かります。
そして、もう一つの解釈は、御使いの言葉ということです。この場合には、語っている本人も、聞いている人々も、全く分かりません。それゆえに、異言の解き明かしをする人が必要なのです。
多くのプロテスタント教会は、異言を禁止する場合が多いのです。確かに、初めて教会の門をくぐった人たちには、礼拝において、わけの分からない言葉を話す人々を見たら、逃げ出さないでしょうか。
それゆえに、パウロは、異言は一人でいる時に、神様に向かって話なさいと勧めています。
異言は武器です。現代訳に書かれてあるとおり、「だれも理解できないのに、奥義を語っている」のですから。》