◇◆◇日々のみ言葉
2025年1月15日(水)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙14章24節~25節】
14:24 しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、
14:25 心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『14:24 しかし、もし皆が分かる言葉で神の御心について話し合っていたら、そこへまだ信仰を持っていない人がはいって来た場合、その人は自分の罪を示され、
14:25 そして、心を刺され、神が確かにここにおられると言って、ひれ伏し、拝むことだろう。』
これは、「知識の言葉」と言われています。これも御霊による賜物なのです。パウロは、
『しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識の言葉が与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。(第Ⅰコリント12:7~12:10)』と、言っています。
知識の言葉とは、その人自身しか知らないことを御霊が特別に教えて下さることを言います。それゆえ、「信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人は皆の者によって罪を示されます。皆にさばかれ、心の秘密があらわにされます」というわけです。
しかし、これは、かなり危険を伴うものだと言えます。もし、一人の未信者の人が教会に入って来て、そこにいた教会員に、自分の素性や罪を、面と向かって言い当てられたとしたら、私なら逃げ出してしまいます。
それだからこそ、「愛」が必要なのです。その人の立場に立った「思いやり」が必要なのです。罪を明らかにされるのは、聖霊だけです。御霊だけなのです。御霊によらなければ、誰も「イエス・キリストは主である」とは告白出来ないからです。》