◇◆◇日々のみ言葉
2025年2月20日(木)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙15章45節~46節】
15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『15:45 旧訳聖書の創世記には、「最初の人アダムは生きた人間となった」と、記されているが、最後のアダムであるキリストは、死んだ人間に命を与える方となられた。
15:46 最初に人間は肉体を持ってこの世に生まれてきたが、霊的体は復活後に与えられるのである。』
この箇所もかなり難解であると言っても良いかと思います。まず「最初のアダム」とは、神様が一番最初に創造された人のことです。創造の最初には、アダムはただ一人でしたが、神様は、助け手を与えられたました。それが「エバ(ハバ)」です。すべての人類は、この二人からスタートしました。
最初のアダムは、生まれて来たのではありません。すでに成長した大人として、神様に創造されたのです。
私は、もしかしましたら、アダムとエバの二人には、「おへそ」が無かったのではないかと考えています。
それでは、「主イエス・キリスト」を、なぜ「最後のアダム」と呼ぶのでしょうか。それは、主イエスは超自然的にマリアの胎に宿ったからです、つまり「最初のアダム」と同じように、神様によって創造されたからなのです。
確かに、私たち一人一人も、神様によって創造された者なのですが、私たちは人間の両親によって、あるいは人間の両親を媒体として、この地上に生を受けたのです。
しかし、主イエスは、人間として母マリアの血を受け継いでいますが、父親は存在しません。御霊が、父親の役目を果たされたからなのです。》