◇◆◇日々のみ言葉
2025年2月23日(日)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙15章51節~52節】
15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『15:51 私はあなたがたに神の隠された真理を教えてあげようと思う。私たちクリスチャンは、死んでそれでおしまいではない。やがて、栄光の体に変えられる。
15:52 キリストが再び来られ、世の終わりのラッパが鳴ると、たちまち、すでに死んだクリスチャンたちが復活し、生き残っているクリスチャンたちは、栄光の体に変えられる。』
パウロは、さらに詳しく奥義を教えています。
『私たちは主のみ言葉のとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主と共にいることになります。こういうわけですから、この言葉をもって互いに慰め合いなさい。(第Ⅰテサロニケ4:15~4:18)』と。
私たちは、あの十二使徒たちが待ち望んでいた栄光の時代に生かされています。パウロが、この手紙を執筆してから、何と1975年ほどの年月が過ぎ去りました。まさか、主イエスの再臨が、これほどまでに遅くなるとは、到底考えもしなかったに違いないのです。
ただ、花婿の到着が遅れることを、主イエスは「花婿を迎える十人の娘」のたとえにおいて、語っています。
私たちは、この瞬間を待ち望みつつ、主の来られるのがたとえさらに遅くなっても、その日を迎えることが出来るように、霊の目を何時も覚ましていようではありませんか。》