• 日々のみ言葉 2025年3月11日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2025年3月11日(火)

    ◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙16章19節~20節】
    16:19 アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。
    16:20 すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載いたします。
    『16:19 アジヤ地方の諸教会がよろしくと言っている。アクラとプリスキラ、および彼らの家に集まっている教会が、主を信じる者として、心からあなたがたによろしくと言っている。
    16:20 こちらのすべてのクリスチャンたちが、あなたがたによろしくと言っている。聖い愛情を込めて、互いにあいさつを交しなさい。』

    ここで言われている「アジア地方」とは、ローマ帝国アジア州のことを指しています。そして、アクラとは、ポント生れのユダヤ人で、パウロと同業者で天幕作りをしていました。妻のプリスカ(プリスキラ)と共に、パウロの忠実な伝道の協力者であったのです。

    もともとは、ローマに住んでいましたが、クラウディウス帝のユダヤ人追放令が出た紀元49年頃に、ローマを退去し、コリントにやって来ました。
    しかし、その時までに、すでにアクラ夫妻がキリスト教に回心していた可能性は、かなり高いと言われています。
    コリントで使徒パウロと出会った彼らは、パウロを自分たちの家に住まわせ、同業者として天幕作りを共にしながら、その伝道を助けました。
    1年半以上のコリント滞在の後、パウロがシリヤに向けて旅出つと、アクラ夫妻も同行し、エペソに渡ったのです。
    そこでパウロは短期間伝道してからエルサレムに向かいましたが、アクラ夫妻はエペソにとどまり、エペソ教会の働きを継続しました。
    このコリント人への手紙が執筆された頃は、パウロは、アクラ夫妻、そしてアポロと共にエペソ教会に滞在していたことは明らかです。
    このユダヤ人夫婦は異邦人の間でも受け入れられており、プリスカの名前がアクラよりも先に書かれている場合もありますが、それは彼女の方が、教会において強い影響力を持っていたためではないかと、考えられています。
    パウロは彼女を正式の呼び名プリスカと呼んでいますが、ルカは愛称としてプリスキラと呼んでいます。この夫妻の働きによって、コリント教会とエペソ教会が存続し続けたことは、間違いないことです。》

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