◇◆◇日々のみ言葉
2025年3月28日(金)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙2章2節~3節】
2:2 もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。
2:3 あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『2:2 もし私があなたがたを悲しませているなら、私が悲しませている当人以外に、一体だれが私を喜ばせてくれるだろうか。
2:3 前の手紙であのようなことを書いたのは、あなたがたが問題を自分たちで処理しておいてほしかったからで、私が行った時、あなたがたが私を喜ばせてくれることを期待したからである。私の喜びは、また、あなたがたの喜びであることを信じて疑わない。』
私たちは生身を持った人間です。まだ体は購われてはいません。しかし、私たちの霊は、主イエス様と共に、天の御国の父なる神様の右の座に、すなわち神の御子、主イエス様と共に、座していると聖書は教えています。
「体は、まだ罪の生活を続けたい」と願っていることも事実なのです。コリント教会の問題もまさにこれであり、救われて教会に迎えられていながら、罪を犯し続けている兄弟が存在したことでした。
そして、その人が真に悔い改めて、罪を捨てるなら、あるいは罪から解放されるのなら、パウロはいかに喜ぶことになるのかを教えています。
ここで、パウロは、この問題を彼らが自分たちで処理することを願っています。もちろん、その為には、助け主である聖霊様の力が必要です。
ここで大切な真理を述べたいと思います。それは、罪を犯し続ける者は、やがて教会から離れて行くことになります。
神様は愛のお方ですが、その忍耐は永遠ではないからです。「御霊を悲しませること」を続けることは、非常に危険なことです。なぜなら、やがて、御霊はその人から去って行くことになるからです。
私たちクリスチャンは、日々悔い改めることも必要です。》