◇◆◇日々のみ言葉
2025年5月12日(月)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙5章13節~15節】
5:13 もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。
5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
◎ショートメッセージ
《昨日の箇所を含めて、現代訳を掲載いたします。
『5:13 こんなことを言うと、私は気が変になっていると思うかもしれない。以前にもそんなことを言った人がいた。しかし、そう思うなら思うがよい。私は神のためには気が変になったと言われてもよい。しかし、もし正気なら、それはあなたがたのために言っているのである。
5:14 気が変になったと言われようと、正気と思われようと、そんなことはどうでもよい。キリストの愛が私たちに強く押し迫って来ている。ひとりのお方キリスト死なれた以上、それを信じる私たちはもはや古い自我に死んでしまった。
5:15 キリストがすべての人のために死なれたのは、私たちが、もう二度と自分のためにではなく、キリストのために生きることを目指している。』
現代訳は、かなり意訳されており、尾山先生の私見が入っているかと思われます。特に13節のパウロの言葉を14節まで続けています。
おそらく、コリント教会の中に、「パウロたちは気が触れた」と言ううわさが広まっていたのではないでしょうか。つまり、主イエス・キリストへの異常な熱心さから、そう感じた人がいたのかも知れません。
私たちが救われた時はどうでしたか。私は、喜びのあまり、友人たちに証しし伝道しました。その結果、多くの友人たちが去って行きました。
特に、高校時代から、ずっと親しかった無二の親友との別れは、非常に辛いものがありました。彼は、私が高校時代のすべての苦しみを共に分かち合ってくれた人でした。
その彼が、一度だけ、私のたっての願いを聞いてくれて、教会の礼拝に来てくれたことがありました。それが最後でした。十年以上続いた友情が終わったのです。
しかし、今の私には、最も素晴らしい友が与えられています。主イエス様です。神様が友になって下さったことこそ、最大、最高の恵みではないでしょうか。》