• 日々のみ言葉 2025年6月11日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2025年6月11日(水)

    ◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙8章1節~2節】
    8:1 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。
    8:2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

    ◎ショートメッセージ
    《今日から8章に入ります。現代訳を掲載いたします。
    『8:1 ところで、信者の皆さん。私たちは、マケドニヤ地方の諸教会に与えられた神の恵みについて、あなたがたに知らせようと思っている。それは献金のことである。
    8:2 彼らは、多くの困難や激しい試練のただ中にありながら、しかも極度の貧しさにもかかわらず、その救われた喜びが満ちあふれて、惜しみなくささげずにはいられなくなった。』

    ここからパウロは献金について、自身の見解を書き記しています。「マケドニヤ地方」の教会とは、テサロニケ教会とピリピ教会のことを指しています。
    この二つの教会も、パウロとバルナバによって建てられ、良く捧げる教会であったことが伝えられています。しかも、決して裕福な教会ではなく、貧しい教会で、パウロが言うには、極度の貧しい人々の集まりであったことが分かります。
    しかし、そのような状況下においても、惜しみなく捧げる教会であったのです。そのような人々の集まりにも関わらず、多くの献金が、使徒パウロたちに、託されました。そして、彼らによってエルサレム教会に送り届けられたのです。

    救われた喜びは、本当にすごいものです。私が主イエス・キリストに出会った次の日の朝、周りに見えるすべての景色は、総天然色でした。まるで天国にいるような気さえしたのです。
    その「救われた喜び」を持ち続けることが非常に大切です。マケドニヤ地方の教会が、「多くの困難や激しい試練のただ中にありながら、しかも極度の貧しさにもかかわらず、その救われた喜びが満ちあふれて」いたことは、まさしく奇跡なのです。

    私が経験したように、もし最初に集った教会が、非常に律法的な教会であったとしたら、やがてその喜びは消え失せて行くことになります。
    教会は、重荷を下ろせる場所なのです。救われる以前以上の重荷を課す教会ではあってはならないのです。》

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