◇◆◇日々のみ言葉
2025年7月26日(土)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙11章6節~7節】
11:6 たとい、話は巧みでないにしても、知識についてはそうではありません。私たちは、すべての点で、いろいろな場合に、そのことをあなたがたに示して来ました。
11:7 それとも、あなたがたを高めるために、自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『11:6 たとえ、私の話し方が上手でなくても、その内容は確かなものだし、私たちは、何度もそのことを示して来た。
11:7 たとえば、あなたがたに福音を宣べ伝えた時、何一つお礼をもらわなかったが、それは間違いだったのだろうか。』
パウロは、「たとい、話は巧みでないにしても」も言っていますが、パウロは決して話が下手ではありません。むしろ、話術に長けているのです。
また、「知識についてはそうではありません」と言っていますが、パウロほど旧約聖書に通じていた者は、当時のユダヤではいませんでした。しかも、パリサイ派の最高指導者でもあったガマリエルの弟子でもあったのです。だからこそ、新約聖書の約半分の書を執筆することが出来たのです。
また、パウロは、天幕職人として、自分で働きながら生活費を稼いで伝道を行ないました。それゆえ、教会から何一つ謝礼をもらわなかったことは、事実なのです。
ただ、この働き方が、今現在の教会の牧師には当てはまるわけではありません。教会の様々な霊的な奉仕をする為には、やはり生活をある程度保証される必要があることは言うまでもありません。なぜなら、メッセージの準備には、かなりの時間と祈りが必要だからです。仕事の片手間に出来るわけではありません。
私の敬愛します遠藤高志先生は、朝祷会や様々な伝道集会においてメッセージのご用をされる時に、真夜中の1時頃から祈りながらメッセージを用意されると聞いています。その日の睡眠時間は約3時間だそうです。
その点、カトリック教会では、その赴任している教会からではなく、カトリックの教区から謝礼が支払われる仕組みになっていることは、素晴らしいことです。
もっとも、神父および司祭の移動は、本人の希望ではなく、教区長によって決められることになり、世界中どこにでも赴任する覚悟は必要です。》