◇◆◇日々のみ言葉
2025年9月17日(水)
◎聖書箇所【ピリピ人への手紙1章22節~23節】
1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストと共にいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『1:22 しかし、この地上の生活を続けていくことで、さらに有益な働きができるとしたら、私はどちらを選んだらよいか分からなくなってしまう。
1:23 私はこの二つのものの間に板ばさみになってしまう。私の願いを言わせてもらえば、苦しいこの世を去って、一時も早くキリストのもとへ行くことであり、そのほうが、はるかに良い。』
私たちには、このような告白が果たして出来るのでしょうか。もし、私に問われたとしたら、正直言いまして、答えにつまってしまいます。
しかし、パウロは確信を持って、この地上において、宣教の働きを続けることよりも、世を去って、すなわち肉体の死を迎えて、主イエス・キリストと共にいることのほうが遙かにまさっていて、それこそが私の願いであると言うのです。
なぜでしょうか。それは、パウロ自身が一度、死を体験しているからです。ユダヤ人による「石打ちの刑」によって、死んだかと思われたのではなく、死んだのです。
そして、第三の天にまで引き上げられ、そこで復活された主イエスにお会したのです。しかし、パウロは奇跡的に地上に戻されます。彼は、すでに天上の栄光を見ており、知っているのです。
福音書の中には、一度死んで、生き返った人が存在することを私たちは知っています。ヤイロのひとり娘、やもめのひとり息子、そしてラザロです。大切な真理は、彼らは間違いなく一度死んだのです。死を経験したのです。
しかし、私やあなたは、まだ死を経験してはいないのです。もしかしたら、死を経験しないで、空中に引き上げられるかもしれません。
どちらにせよ、クリスチャンは、すでに「死の問題」が解決している人々なのです。》