◇◆◇日々のみ言葉
2025年10月15日(水)
◎聖書箇所【ピリピ人への手紙2章26節~27節】
2:26 彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。
2:27 本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんで下さいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにして下さいました。
◎ショートメッセージ
《一昨日および昨日と同じ箇所からとなります。再三ですが現代訳をも掲載いたします。
『2:26 というのは、彼はあなたがた一同を慕い求めており、また、自分が病気になったことがあなたがたに聞こえたので、心苦しく思っているからである。
2:27 本当に彼は死ぬほどの病気にかかったのにが、神は彼をあわれんで、治して下さった。彼だけでなく、私をもあわれんで下さったので、悲しみに悲しみを重ねないで済んだ。』
一昨日は、教会(エクレーシア)について、そして昨日は、エパフロデトのことについて考えてみました。今日は、パウロの「悲しみに悲しみが重なる」ことについて考えて見たいと思います。
ここから分かることは、エパフロデトが病気になったこと、しかも死にかけたことは、パウロに取って、大きな悲しみであったことかと思われます。
しかしその前に、パウロに何か違った大きな悲しみが襲ったことは間違いありません。それは一体何であったのでしょうか。
考えられますことは、ただ一つです。それは、愛弟子であったデマスがパウロの元を去って行ったことではないでしょうか。しかも信仰を捨ててです。
テモテへの手紙には、
『デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。(第Ⅱテモテ4:10)』と書き記されています。
忠実な信徒であり、同労者であり、弟子であったデマスがなぜ信仰を捨てて、この世に戻ってしまったのかは私たちには分かりません。しかし、師(パウロ)に取っては、紛れもなく大きな悲しみであったことは間違いないと思われます。》