◇◆◇日々のみ言葉
2025年10月19日(日)
◎聖書箇所【ピリピ人への手紙3章1節】
3:1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『3:1 信者の皆さん。主を信じる者として喜んでいなさい。前に送った手紙でも書いたが、ここでもう一度書こうと思う。それを、私は決して煩わしいとは思わないし、あなたがたにとってもその方が安全だと思う。』
ここにも、「喜び」が出て来ます。「主にあって喜びなさい」とパウロは言っていますが、この訳は、何か抽象的な感じがします。現代訳の「主を信じる者として喜んでいなさい」と言う訳の方がピッタリとすると思うのは、私だけでしょうか。
パウロは、「前と同じこと」と書いていますが、ここに、ピリピ教会宛の手紙が、以前に、もう一通存在していたことが分かります。残念ながら、残されてはいません。もし残されていたとしたら、第Ⅰピリピ、第Ⅱピリピと呼ばれたかも知れません。
ところで、なぜこうも「ピリピ教会への手紙」に、「喜び」という言葉が多く書き記されているのでしょうか。その答えは、ピリピ教会が喜びを失った教会であったからです。そのことが、この1節に、はっきりと書かれています。
では、なぜ喜びを失ったのでしょうか。まず考えられますことは、敵の攻撃です。悪魔と悪霊が、ピリピ教会を潰そうとしたかも知れないのです。
また、健全な指導者がいないと、どうしても落ち込むことに繋がって行くのです。それゆえに、パウロはテモテをそちらに遣わすと言っています。
私たちが持つべきものは、「永遠の喜び」なのです。それは、主に出会った喜びであり、救われた喜びであり、永遠の命が与えられた喜びなのです。
そして、たとえ何があっても、主が共にいて下さると言う喜びなのです。》