※本日の聖書箇所「ルカの福音書11章14節~23節」(新約p.137下段左側)
11:14 さて、イエスは悪霊を追い出しておられた。それは口をきけなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口がきけなかった人がものを言い始めたので、群衆は驚いた。
11:15 しかし、彼らのうちのある者たちは、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。
11:16 また、ほかの者たちはイエスを試みようとして、天からのしるしを要求した。
11:17 しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれ、家も内輪で争えば倒れます。
11:18 あなたがたは、私がベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言いますが、サタンが仲間割れしたのなら、どうしてサタンの国は立ち行くことができるでしょう。
11:19 もし、私がベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているとしたら、あなたがたの子らが悪霊どもを追い出しているのは、だれによってなのですか。そういうわけで、あなたがたの子らがあなたがたをさばく者となります。
11:20 しかし、私が神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
11:21 強い者が十分に武装して自分の屋敷を守っているときは、その財産は無事です。
11:22 しかし、もっと強い人が襲って来て彼に打ち勝つと、彼が頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。
11:23 私に味方しない者は私に敵対し、私と共に集めない者は散らしているのです。」
◎メッセージ【中立という立場は?】
《さて、主イエスは、口をきけなくする悪霊を追い出していました。ところが、その場面を目撃していた者たちの中に、パリサイ人や律法学者がいたのです。彼らは、ユダヤ最高法院から遣わされて来た者たちであったと考えられます。彼らは、その奇跡を見ながら互いに、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言ったのです。
「ベルゼベル」とは、第Ⅱ列王記の最初に登場します「バアル・ゼブブ」から派生した言葉であり、「ハエの神」と言う意味で、新約時代においても、悪霊の頭のことを「ベルゼベル」と呼んでいたことが分かります。
「また、ほかの者たちはイエスを試みようとして、天からのしるしを要求した」とありますが、彼らはすでに多くのしるしや奇跡を、直に目撃しているにも関わらず、たとえ主イエスがその要求に応じたとしても、彼らは決して信じようとはしないのです。
「しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた」とありますが、主は一瞬にして心を読むことが出来るのです。
「どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれ、家も内輪で争えば倒れます。あなたがたは、私がベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言いますが、サタンが仲間割れしたのなら、どうしてサタンの国は立ち行くことができるでしょう。」
この主の言葉から、悪魔と悪霊の世界においても、階級と命令系統が存在することが分かります。
開発地途上国において、悪霊問題は、今もなお現実的な問題となっています。まじないを使って、悪霊からの解放を行なう祈祷師が、今でも実際に存在しています。
また、マタイの福音書においては、主イエスは「強い者を縛り上げる」必要を教えています。つまり、主イエスの御名によって、最初に悪霊を縛り上げ、それから追い出すのです。その為には、取り憑いている悪霊の名前か、ある程度の役割りをこちら側が知る必要があります。 それゆえに、主イエスは、「口をきけなくする悪霊」を追い出し解放したのです。そして、今日の聖書箇所において、最後に主が言われたことは、
『私に味方しない者は私に敵対し、私と共に集めない者は散らしているのです。」』と言う言葉です。
この意味は、地上における霊的戦いにおいて、中立の立場は存在しないと言うことです。つまり、誰一人傍観者ではいられないと言うことなのです。電気にプラスとマイナスがあるように、真の神様と悪の根源である悪魔が存在するのです。そして私たちは、永遠の命と永遠の滅びのどちらかに属するしかないということです。
神様の側に付くか、さもなければ神様の敵となり悪魔の側に付くかのどちらかなのです。それを選ぶのは、私たち一人一人の決断にかかっているのです。私は神様を選びます。》