• 日々のみ言葉 2015年11月17日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月17日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書8章11節】

    8:11 パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである。

    ◎ショートメッセージ

    《『そしてすぐに弟子たちとともに舟に乗り、ダルマヌタ地方へ行かれた。(マルコの福音書8:10)』
     
     マタイは、『マガダン(マタイの福音書15:39)地方に行かれた。』、と書いている。マルコが書いた「ダルマヌタ地方」も、またマタイが書いた「マガダン地方」も、詳細は不明である。
     実は「マグダラ」と書かれた多くの写本も存在する。よって、「マガダン」ではなく「マグダラ」ではないか、という説もある。
     もしそうだとしたら、主イエスは、マグダラに来た目的があったことは間違いない。マグダラは、ガリラヤの四大都市の一つでもあった。この町でも、主イエスは、いやしと解放のミニストリーを行なったはずである。

     この場所に舟が到着してすぐに、パリサイ人たちがやって来て、主イエスに議論をしかけたとは思えない。

     誰であっても、もしこっそりある場所にその人が訪れたとしたら、そこにその人が来たことを、見つけることは、極めて困難なのは当たり前である。
     主イエスの一行を乗せた舟が到着した時、たまたま、そこに居合わせた人々が、主イエスが来られたことをふれ回った。そして、大勢の人々が集まって来た。
     それゆえ、主イエスが来たことを聞いたパリサイ人たちが、やって来たと考えるのが普通である。要するに、マルコは省略していると思われる。

     さて、『パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。』とある。

     まず、何の議論をしかけたのか。それは主イエスに、「あなたはメシヤか。キリストか。神の御子か。どうしてこのような権威を持っているのか。誰の権威によって、このような御わざをしているのか。」
     そうである。つまり主イエスのアイデンティティーに対する糾弾である。

     もちろん、人には好奇心がある。また主イエスが、どのようなお方なのか、本当に「メシヤ」なのか、「キリスト」なのか、真理を知りたい気持ちは、誰でも持っている。
     問題は、パリサイ人の心である。その動機にある。なぜなら彼らは、主イエスを信じるためではなく、ためそうとしたのである。試みようとしたのである。

     これは、まさしく荒野における四十日四十夜の悪魔の誘惑と同じである。もっとも彼らをそそのかし、そして操っているのは、悪魔の他ならないのであるが。

    「もし神の御子であるなら、メシヤなら、キリストなら、その証拠としての「天からのしるし」を見せてみろ。」と言うわけだ。
    「そうしたら、我々は信じるから。」と言うことである。

     何と傲慢な態度であろうか。

     最初から、主イエスを、「神の御子」でもなく、「メシヤ」でもなく、また「キリスト」でもないということを、決めつけての議論であり、偏見の何ものでもない。
     まさしく頑な心の持ち主であり、耳があっても聞こえない、目があっても見ることも出来ない、哀れな者たちなのだ。

     それでは、パリサイ人、彼らが求めた「天からのしるし」とは何か。
    旧約聖書に詳しい彼らが、良く知っている話が、第Ⅱ列王記に書かれている。

    『アハブの死後、モアブがイスラエルにそむいた。さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい。」と命じた。
     そのころ、主の使いがティシュベ人エリヤに告げた。「さあ、上って行って、サマリヤの王の使者たちに会い、彼らに言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、主はこう仰せられる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」それで、エリヤは出て行った。
     使者たちがアハズヤのもとに戻って来ると、彼は、「なぜあなたがたは帰って来たのか。」と彼らに尋ねた。
     彼らは答えた。「ひとりの人が私たちに会いに上って来て、こう言いました。『あなたがたを遣わした王のところに帰って行き、彼に告げなさい。主はこう仰せられる。あなたが人をやって、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」
     アハズヤは彼らに尋ねた。「あなたがたに会いに上って来て、そんなことをあなたがたに告げた者は、どんな様子をしていたか。」
     彼らが、「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした。」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ。」と言った。
     そこで、アハズヤは五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。彼がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂にすわっていた。彼はエリヤに、「神の人よ。王のお告げです。降りて来てください。」と言った。
     エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたと、あなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼と、その部下五十人を焼き尽くした。
     王はまた、もうひとりの五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。彼はエリヤに答えて言った。「神の人よ。王がこう申しております。急いで降りて来てください。」
    エリヤは彼らに答えて言った。「もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたと、あなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から神の火が下って来て、彼と、その部下五十人を焼き尽くした。(第Ⅱ列王記1:1 ~1:12) 』

     要するに、彼らの見たいものとは、天から火が降って来て、憎きローマ軍やローマ帝国を亡ぼすことにある。ユダヤ人は、政治的に解放してくれる「メシヤ」を待ち望んでいたのである。》

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