• 日々の御言葉 2025年10月26日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2025年10月26日(日)

    ◎聖書箇所【ピリピ人への手紙3章8節~9節】
    3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
    3:9 キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載いたします。
    『3:8 そればかりか、主イエス・キリストを知り、そのすばらしさのために、それまで価値があると思い込んでいたものを何もかも皆、つまらぬものだと思うようになった。 キリストの素晴らしさを知って、私は一切のものをかなぐり捨ててしまったが、そうしたものを、今では廃物同然に思っている。それは、私がキリストを本当に自分のものとするためである。
    3:9 また、善い行ないをして救われるのではなく、キリストを信じて救われ、キリストと結ばれるためである。』

    「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさ」と言う証言はどこから来るのでしょうか。
    私たちは、迫害者サウロが、ダマスコ途上において、復活の主イエス様と出会ったことを聖書から知っています。しかも、その事について、使徒の働きには、三回にも渡って繰り返されています。一回目は、その場面ですが、あとの二回は、パウロの証言として聖書に書かれています。
    しかし、それだけではないのです。パウロは「石打ちの刑」にあった時、第三の天において、復活の主イエス様にお会いしたと思うのです。その詳しい内容については、使徒の働きには書き記されてはいませんが、その時に多くの真理を直接伝授されたに違いないと私は考えています。
    そして、その時、パウロは「神の御国」を垣間見たのではないでしょうか。それに比べたら、「それまで価値があると思い込んでいたものを何もかも皆、つまらぬものだと思うようになった」ことは、当然だと思うのです。明日も同じ箇所からとなります。》

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