◇◆◇日々のみ言葉
2025年10月30日(木)
◎聖書箇所【ピリピ人への手紙3章15節~16節】
3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにして下さいます。
3:16 それはそれとして、私たちはすでに達している所を基準として、進むべきです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『3:15 だから、一人前のクリスチャンたちは、皆このような考え方をしようではないか。また、もしもあなたがたがどこかで違った考え方をしていたら、神があなたがたにそのことをも教えて下さると思う。
3:16 ただ私たちは、すでに到達したところを忠実に守り、それによって生きて行きたいと思う。』
ここで、パウロが言っている「このような考え方」とは、昨日の聖書箇所のことです。『兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。』
私たちは、この世においては「旅人」であり、また「寄留者」でもあるのです。私たちは、確かに未だにこの世界に置かれていますが、霊は、主イエス様と共に、天に引き上げられています。
パウロが「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」行くべきことは、まさしく、すべてのクリスチャンが心に留めるべきなのです。
ここで言う「うしろのもの」とは、救われる以前のことを指しています。私たちは、どうしても過去に目を向けてしまう傾向があります。もちろん、過去を振り返り、その多くの失敗を繰り返さないことは必要ですが、聖書は、「頭を上げよ」と何度も命じています。
今、私たちは、どこにいるのかを知っています。それが、パウロが言う「すでに到達した所」なのです。終わりの時代、しかもあと残された時間は非常に僅かです。常に、主イエス様の十字架を仰ぎ見つつ、前を向いて歩んで行こうではありませんか。》