• 日々のみ言葉 2015年11月19日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月19日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書8章14節】

    8:14 弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。

    ◎ショートメッセージ

    《「五千人の給食」の時には、あまったパンが、十二のかごにいっぱいとなった。そして「四千人の給食」の時には、七つのかごにいっぱいとなった。

     これは何を意味しているのか。

     「十二のかご」は十二使徒を表わしている。主イエスに従う者は、霊肉共に満たされると言うことだ。
     そして「七つのかご」とは、「教会」を表わしている。教会も、霊肉共に満たされる場所であり、そこはまさしく神の国なのである。この世における神の支配する場所、神のおられる場所こそが教会である。
     主イエスは、十二使徒を中心として、やがて教会をうち建てることを預言しているのである。
     
     主イエスと弟子たちは、舟に乗って「ダルマヌタ地方」と呼ばれた場所、または「マガダン地方」と呼ばれた場所から去って行った。
     この「マガダン」が、「マグダラ」を指すことは、すでに学んだ。

     その舟での出来事である。
     弟子たちは、「四千人の給食」の時に、七つのかごに余ったパンを持って行ったはずであるが、どうやらその先のことを考えずに、あまりパンを持って行かなかったようである。そして舟に乗った彼らが気づいた時には、何とパンが一つしかなかったのである。

     私たちも良く同じあやまちを犯す時がある。例えば、家に牛乳は、確か買っておいたはずだから、冷蔵庫にあると思い、冷蔵庫を開けると、ほとんど残っていなかった時など。
     そういう時には、多くの人々が、「ああ。これしか残っていない。何てことだ。買っておけば良かった。」と、大体、自分を責めることになるわけだ。

     おそらく、この時にも彼らは、「何てこったい」と思ったのである。自分のミスを認め、反省するならまだしも。
     私も含めて、多くの人々は、そんな時には、他人のせいにしがち、いや他人のせいにするのだ。なぜなら、私たちは罪人だからである。そのような場合には、自分は正しくて、他の者がミスを犯したのだと思い、他人を責めるのである。

     これこそがまさに、パリサイ人と律法学者のすることである。

     案の定、この後、弟子たちは責任のなすり合いを始めることとなる。ここでも大切な教えがある。つまりリーダーとは、指導者とは、責任を取れる人のことを指す。

     主イエスが十字架に架かられた日、その時ほとんどの使徒が、主イエスを見捨てて逃げてしまった。十字架の御元には、「主の愛された弟子」と言われたヨハネだけが、主の母マリヤと共にいたのである。
     何と、そこには主イエスの実の弟であるヤコブ、ユダ、ヨセ、シモンも、そして妹たちも、いなかったのである。主は何と、身内からも見放されたのだ。
     
     これが本来の人間の姿なのである。

     しかし主イエスは、三日目によみがえられた。生きておられるご自身を現わされた。そして五旬節の日、ペンテコステの時に、聖霊様が降られた。すると彼らは、全くの別人になったのである。

     さて「パン」は一つしかなかった。いや一つ残されていた。
    彼らは、まだ知らなかったのだ。確かに食べられる「肉の糧」であるパンは一つしかなかったのだが、そこには「いのちのパン」があったことを。

     主イエスは言われた。

    『「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6:35)』

    「五千人の給食」の奇蹟、そして「四千人の給食」の奇蹟は、すべてこの真理のために、この奥義に導くために、主イエスが行なわれたものなのである。》

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