• 日々のみ言葉 2015年11月22日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月22日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書8章19節~20節】

    8:19 「私が五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」
    8:20 「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」

    ◎ショートメッセージ
    『主イエスは言われた。
    「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」』

     そして、その後すぐに、「五千人の給食」と「四千人の給食」の話をなされたのである。この箇所からも、まず言えることが一つある。それは「五千人の給食」と「四千人の給食」とは、別の奇蹟であることが明白だと言うことだ。
     「五千人の給食」は、特にガリラヤに住むユダヤ人の為になされた奇蹟であり、「四千人の給食」は、異邦人、特にデカポリスに住むローマ人やギリシャ人、つまり異邦人の為になされたのである。

    「十二のかご」とは、十二使徒を指す。
    「七つのかご」とは、教会を指す。

     主イエスこそが、霊肉共に満たして下さるお方である。またご自身の流された尊い血潮によって、人々を買い戻して下さり、そして教会を建てあげることの出来るお方である。

     この方は、たとえパンが一つであっても、いやパンが一つもないとしても、弟子たちに、パンを与えることが出来るお方である。満腹させることが出来るお方である。満足させることの出来るお方なのだ。

     まさしく、このお方こそ「いのちのパン」なのである。

     使徒ヨハネは、そのことについて詳しく書き記したのだ。

    『イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」
     すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」
     イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
     そこで彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。』と書いてあるとおりです。」
     イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、私の父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」
     そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」
    イエスは言われた。「私がいのちのパンです。私に来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネの福音書6:26~6:35)』

     この言葉こそ、主イエスの私たちへの約束である。主イエスを信じ、信頼し続ける者に、主イエスの「良き知らせ」の為に働くの者には、主イエスご自身が、すべての責任を負ってくださるのである。
     私たちは、お腹が空く。何も食べなければ、死んでしまう。同じように、私たちは喉が渇く。水がなければ、やはり死んでしまう。
     しかしそれだけではない。私たちの霊も、飢え、また渇くのだ。なぜなら私たちは、神の似姿に造られたのであるから。
     私たちは霊的存在である。本当の私たちは、魂を持つ霊であり、この肉体の中に住んでいるのだ。

     主イエスだけが、私たちの肉の必要も、霊の必要も満たして下さるお方なのである。》

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