• 日々のみ言葉 2015年11月21日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月21日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書8章17節~18節】

    8:17 それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。
    8:18 目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」

    ◎ショートメッセージ

    《『弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。(マルコの福音書8:14~8:16)』

     引き続き、「パン種」の学びである。

     主イエスは、彼らに霊的なたとえを語られた
     すると、弟子たちは、パンが一つしかないことで、舟の中において議論を始めたのである。互いに、責任をなすりつけ、要するに「犯人捜し」を始めた。その時、主イエスは、彼らに、怒りをこめて、少し強く語られることとなる。

    「まだわからないのですか。」
     わかる、と言うことはどういうことであろうか。それは、主イエスが言われた言葉の意味が、わかると言うことである。

    「まだ悟らないのですか。」
     悟るとはどういうことか。仏教でいえば、「悟りの境地」か。それは、心の奥底において、魂の奥底において、真理をしっかりと知ることである。

    「目がありながら見えないのですか。」
     もちろん、彼らは、誰一人、盲目ではない。彼らは目が見える。では、何が見えないのか。目の前におられるお方が、どなたであるかを、霊の目が見ることが出来ないのだ。

    「耳があり聞こえないのですか。」
     もちろん、彼らは、誰一人、耳が聞こえない者はいない。彼らは聞こえる。では、何が聞こえないのか。主イエスの言葉を聴くことが出来ないのだ。主イエスの言葉が、とどまらないのである。

    「覚えていないのですか。」
     もちろん、彼らは、誰一人、忘れやすい者ではない。彼らの記憶力は、普通の人と同じである。では、何を覚えていないのか。主イエスが、なされた奇蹟と御わざである。そのなされた、奇蹟と御わざが何を示しているのか、何を教えているのか、彼れは、まさしく学んではいるが、学ばない者なのである。

    「パリサイ人のパン種」とは、パリサイ人の教えである。それは律法主義である。要するに、主イエスに出会う前に、主イエスの弟子になる前に、パリサイ人や律法学者の教えていた、「先祖たちの言い伝え」に従う、という教理のことである。
     また「ヘロデのパン種」とは、俗に言う「世俗主義」である。つまり、この世の教えであり、富、お金、名誉、地位、そして快楽が第一であると言うことだ。

     主イエスは、「律法主義」と「世俗主義」に気をつけよ、と言われたのである。

     これは、何も、当時の十二使徒だけへの教えではない。私たち。そう、今生かされており、主イエスの弟子となった私たちにも警告されている、主イエスのご命令である。

     私たちは、理解しなければならない。主イエスの語られた御言葉を。
     私たちは、悟らなければならない。主イエスの言われる真理を。
     私たちは、見なければならない。主イエスの十字架を。そして主イエスご自身を。
     私たちは、聴かなければならない。聖書に。主イエスの御言葉に。
     私たちは、覚えていなければならない。主イエスのくださった、たくさんの恵みを。》

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