• 日々のみ言葉 2015年11月27日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月27日(金)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書8章27節】
    8:27 それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしを誰だと言っていますか。」

    ◎ショートメッセージ
    『ピリポ・カイザリヤとはギリシャ語で、「ピリポのカイザリヤ」という意味である。 ヨルダン川の4水源の一つナハル・バニアスが発するヘルモン山南麓の高台に位置していた町を指す。水源の一つである「泉の洞穴」には、ヘレニズム時代から、パン神の聖所があり、町はアラビヤ語でバニアスと呼ばれていた。
     紀元前20年、ヘロデ大王は皇帝アウグストゥスからこの町を与えられ、その記念に皇帝の像を安置した大理石の神殿を建てた。
     その後、その子ヘロデ・ピリポが町を拡張美化し、皇帝ティベリウスに敬意を表して、名をカイザリヤと改め、地中海沿岸にあるカイザリヤと区別するため、自分の名を加えてピリポ・カイザリヤと呼ぶようになった。

     さて、なぜここに主は十二使徒を連れて、ピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたのであろうか。ここは、ヘルモン山に積もった雪解け水が豊かにわき出る所であり、緑豊かな美しい場所である。
     一つは、このような美しい場所において、しばし弟子たちを、霊的にまた肉体的にも休ませようと、主イエスが考えられたとしても、不思議ではない。この特別な場所において、主イエスは、彼らを「メシヤ告白」に導かれることになる。
     主イエスの評判を聞きつけて、多くの人々が集まって来る場所では、このように静まることは出来ないゆえ、人里離れた所に、主イエスは弟子たちを連れて来られたとも言える。

     主イエスは、弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしを誰だと言っていますか。」

     もちろん主イエスは、すべてをご存知であられる。人々がご自身を、どのように言っているのかも、十分知っておられる。また、主イエスが、人々の評判を気にして聞かれたのでは、もちろんない。
     ここで、主イエスは、人々の考えと弟子たちの考えが同じなのか、それとも違っているのか、それを確認するため、弟子たちの口によって告白させるために、あえてこのように尋ねられたのだ。

     まず「人々はわたしを誰だと言っていますか。」と尋ねられ、そしてその次には、「では、あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。」と聞かれることになる。

     イエス・キリストはどのようなお方であるのか。そして何をなさったのか。多くの人々は、世界の歴史を通して、学校で教えられ、また知識としては、良く知っている。
     たとえ知らなくとも、今が2015年であることは、事実の何ものでもない。
     これはA.Dすなわち、Anno Dominiの略で、「主の年」と言う意味である。
     そしてB.Cとは、Before Christの略で、「キリストが生まれる前」と言う意味である。2015年とは、A.D2015年と言うことで、キリストが生まれてから2015年が過ぎた、と言う意味である。

     もっとも、主イエスが生まれた年には、誤差があることは、もう間違いのないことである。
     なぜならヘロデ大王が、死んだ年が、紀元前4年であることが、事実として分かっている。
     主イエスは、ヘロデ大王が死ぬ前にお生まれになられた。とするならば、主イエスの誕生は、紀元前4年~5年となる。そうなると、本当は、今年は2015年ではなく、2019年もしくは2020年かも知れない。

     しかし、このお方の誕生を中心として、世界の歴史が刻まれて来たことは明白である。

     主イエスは尋ねて言われた。「人々はわたしを誰だと言っていますか。」

    この質問は、当時の弟子たちだけでなく、今現在、この世界に存在する私たち一人一人に、主イエスは尋ねておられるのだ。

     世界中の人々は、主イエスこそ、「救い主」、「キリスト」、「神の御子」いや、このお方こそが「創造主」であられ、「神」そのものであられることを、知っている。

     その次に、
    「それでは、あなたは、わたしを誰だと言いますか。」
     という質問が主イエスから、発せられることになる。

     その時、あなたは、どのように答えるのであろうか。あなたにとって、このお方は、誰なのであろうか。》

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