◇◆◇日々のみ言葉
2015年11月29日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書8章29節】
8:29 するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
◎ショートメッセージ
『主イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤへ出かけられた時、その途中、「人々はわたしを誰だと言っていますか。」、と尋ねて言われた。
弟子たちは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」
すると、主イエスは、彼らに尋ねられた。
「では、あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。」
主イエスは、すべての人の主であられる。このお方こそ、まことの神であられる。
使徒パウロは、コロサイ人の手紙において、このように語っている。
『御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。(コロサイ人への手紙1:15~1:17)』
ユダヤの人々は、主イエスのことを、バプテスマのヨハネの生まれ代り、またエリヤの再来、、あるいはモーセに神が約束された「ひとりの預言者」だと言っていたのである。
主イエスの関心事は、人々の評判ではなく、ここまで訓練して来た弟子たちが、ご自身をどのように思っているのか。ユダヤの一般の人々と同じように考えているのか、にあった。
その時、シモン・ペテロが、聖霊に満たされて、主イエスに答えたのである。
「あなたは、キリストです。」
「キリスト」とは、油注がれた者と言う意味である。
私たちは、最後の士師サムエルが、ダビデに油注いだことを知っている。それは王を意味するのである。油注ぎとは、王を任命し祝福するものなのだ。
主イエスは、主の主、そして王の王なるお方であられる。
シモン・ペテロは、自分の意思で「キリスト」告白をしたのであろうか。
主イエスを、口で告白することは、聖霊なるお方の力を借りなければ、出来ないことである。
マタイは平行記事において、こう書き記している。
『さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子を誰だと言っていますか。」
彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。」
シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイの福音書16:13~16:19)』
マタイの福音書では、シモン・ペテロの答えが、マルコとは異なり、さらなるキリスト告白となっている。
「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
そして主イエスは、はっきりとこう言われたのだ。
「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」
しかし、主イエスが、「キリスト」であることを知ることと、信じることとはまったく違うのである。その証拠に、主イエスが十字架に架けられた時、ほとんどの弟子たちは逃げ去ってしまう。
「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白したシモン・ペテロさえ、大祭司の庭において、主を三度知らないと否定するのだ。
主イエスは、聞かれた。「では、あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。」
この質問は、今でも主イエスによって、すべての人々に投げかけられている。
「では、あなたは、わたしを誰だと言いますか。」》