• 日々のみ言葉 2015年11月30日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年11月30日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書8章30節~31節】
    8:30 するとイエスは、自分のことを誰にも言わないようにと、彼らを戒められた。
    8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。

    ◎ショートメッセージ
    『主イエスは、弟子たちに尋ねられた。
    「では、あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。」

     ペテロが答えてイエスに言った。
    「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

     十二使徒たちは、この時、主イエスが、旧約聖書に預言されていた「メシヤ」、そしてユダヤ人が待ちに待ち望んだ「救い主」であることを知った。認識した。確認した。
     主イエスは、ペテロに「このことを明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と言われた。

     この言葉によって、主イエスはご自身が何者であるのかを、はっきりと弟子たちに示された。

     それからである。
     主イエスは、そのことを誰にも言ってはならないと、弟子たちに命じられたのである。

     なぜか。

     ユダヤ人が待ち望んでいた「救い主」は政治的メシヤであり、今はローマの属国となってしまったイスラエルを解放してくれる、そしてローマ軍を亡ぼしてくれる「メシヤ」であった。
     実は、十二使徒たちも、まったく同じ考えであったのだ。特にイスカリオテのユダは、もっとも、それを期待していたかも知れない。それゆえ、主イエスに失望し、主イエスを、売り渡したとも考えられる。

     つまり、主イエスは、弟子たちに、そのことを口止めされたのである。この時には、まだ主イエスが、全人類のための救い主であられることが、彼らには隠されていた。
     また、主イエスの使命である「十字架」についても、彼らの理解を遙かに超えていた。まだ父なる神のご計画も、そして自分たちに、やがて与えられる使命についても、彼らは理解することは出来なかったのだ。

     しかし、この時から主イエスは、いよいよご自分の使命と、何のためにこの世界に来られたのか、またお生まれになられたのかを、少しづつであるが、彼らが徐徐に理解できるように教え始めたのだ。

     「十字架」の第一回目の受難予告である。

     『それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。』

     しかし最初の段階では、主イエスは「十字架刑」については、まだ明らかにしてはおられない。主イエスは、ご自身が、「多くの苦しみを受け、ユダヤ人に捨てられ、殺される。」と言うことを話された。
     この話を聞いた時、弟子たちは、まったく主イエスが、何を話しておられるのか、チンプンカンプンであったに違いない。
     なぜ、自分たちの先生が、殺されなければならないのだ。
    「三日目によみがえる」とは、一体全体どういうことなのだ、とお互いに顔を見合わせたことは、十分に計り知れる。

     霊的真理は、聖霊なるお方によらなければ、人間には理解することは不可能なのである。もちろん、弟子たちは救われていた。また主イエスから聖霊なるお方の権威をも分与されていた。
     しかし、まことの「聖霊降臨」は、まだ、これから1・2年先のことであった。彼らが、神のご計画を知り、まったく変えられて、使徒として用いられるためには、「十字架」そして「暗黒」の三日間、「復活」を通らなければならなかったのだ。

     私たちも同じ道を辿るのである。
    「十字架」が理解出来なければ、「罪の赦し」を体験することは出来ない。
    「復活」が理解出来なければ、「新生」を体験することは出来ない。

     キリスト教は、「理解」すなわち、頭で、知識で理解する宗教ではなく、生きておられる神と、まことに出会うものなのである。
     いわゆる「宗教」ではなく、また「哲学」ではなく、この世界を創造されたお方、本当におられる「神」と、真実に出会うものなのである。

     弟子たちが、まことに、真実に、真理に、神の御子である主イエス・キリストと出会う時は、主イエスが三日目によみがえられた後、弟子たちの真ん中に、生きておられるご自身を現わされた時なのだ。

     あなたも、主イエスに、出会わなければならない。》

Comments are closed.