◇◆◇日々のみ言葉
2015年12月1日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書8章32節】
8:32 しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
◎ショートメッセージ
『主イエスは、それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められたのである。
第一回目の受難予告である。
マルコは、主イエスが、『しかも、はっきりとこの事がらを話された。』と書き記した。
これは、どういう意味か。
それは、主イエスが、この時に、すなわちシモン・ペテロが「メシヤ告白」をした時に、それを受け入れられたと共に、これからご自身が、「キリスト」として「救い主」として辿られる道を、明確に示されたと言うことである。
しかし、弟子たちには、これらのことがまったく理解出来なかった。そのことについては、昨日の「日々のみ言葉」にも書かせていただいたので、ぜひそちらを参照していただきたい。
さて、その次に、何とシモン・ペテロが、とんでもない行動に出たのだ。
マタイの福音書によれば、シモン・ペテロが「メシヤ告白」した時、主イエスは、シモンに対して、お褒めの言葉を投げかけるの
『「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイの福音書16:17~16:19)』
そしてその後に、「誰も言ってはならない。」と命じられ、第一回目の受難予告をされたのである。
マタイは平行記事として、この場面を詳しく書き記している。と言うことは、マタイはこの現場をしっかりと目撃していたことは、ほぼ間違いない。
『するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」(マタイの福音書16:22)』
「いさめ始めた」とはどういうことか。
これは、「しかった」と同じ言葉が使われいて、文字通り、ペテロは主イエスをしかり飛ばしたのである。
今まで、自分がすべてを捨ててついて来た方が、「何と弱音を言われるのか、これはとんでもないことです。しかも「メシヤ」なるお方が、「長老、祭司長たち、律法学者たち」すなわち、ユダヤを代表するサンヘドリンから捨てられることなど、あるはずがありません。」と言うことである。
これは一見、人情深いそして主人思いの行動のように見える。しもべが、主人を心配して、まるで慰めの言葉を投げかけているようにも見える。
がしかし、これは「冒涜」の何ものでもない。
少し前に、シモン・ペテロは、「あなたこそ、生ける神の御子キリストです。」と告白したばかりなのだ。それは、まさしく、あなたはキリスト。あなたは神の御子、いや神です、と言うことなのである。
そうであるならば、神である主イエスに対して、どうして人間が、しかりつけることが出来ようか。要するに、シモン・ペテロの信仰は、まだまだ本物ではなく、俗に言う「頭の信仰」なのだ。
シモン・ペテロが正しくて、主イエス・キリストの方が間違っているということを伝えているのでる。
果たして、そうであろうか。神が間違いを犯すだろうか。
この出来事において、何が明白となったのであろうか。それは、十二使徒たちの「メシヤ感」は、やはり変わっておらず、彼らも主イエスを政治的メシヤと信じていたのである。
主イエスのお心とは、まったく違っていたことを指すのだ。》