◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月13日(水)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章49節~50節】
9:49 すべては、火によって、塩けをつけられるのです。
9:50 塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。
◎ショートメッセージ
《主イエスは、「火によって」と言われた。この「火」とは何であろうか。
それは、主イエスが言われた9:48の言葉と関係が深い。
すなわち、
『「そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」(マルコの福音書 9:48)』
この言葉は、異本では、9:44、9:46にも挿入されている。もしそうだとしたのなら、主イエスは、何と3回も、この言葉を話されたことになる。
この言葉は、イザヤ書66:24の預言を主イエスが引用されたのであり、それは「地獄」を意味するものである。
「天国」と「地獄」、主イエスは、それが実在することを、何度も話された。今日、多くの人は、天国と地獄の実在を信じない。それは、何か架空の物語やおとぎ話ぐらいにしか考えていない人がほとんどである。
さもなければ、死んだらみんな天国へ行けると思っていたり、また死んだらすべてが無になってしまい消えてしまうのだと、考えたりしているのである。
しかし聖書は、はっきりと天国と地獄の実在を教えている。
人はすぐに腐敗し、堕落してしまうものである。人は裁きの火によって心の中に塩気をつけられなければならない。塩は良いものである。それは腐敗を防ぎ、またそのままの状態を保つことが出来る。
主イエスは、このように言われた。
『「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイの福音書5:13)』
このことを、再度、主イエスは、ヨハネひとりだけではなく、弟子たち全員に教えているのだ。
「高慢」こそが、私たちを腐敗させ堕落させるものである。
私たちは、主イエスのしもべである。主イエスは、しもべである私たちを用いてくださる。その時に、本来、神に帰するべき栄光を、まるであたかも自分の手柄のようにしてしまったとしたら、それこそ「塩」が「塩気」をなくすことにつながるのだ。
最後に、主イエスは、
「互いに和合して暮らしなさい。」と言われた。
この言葉は、誰に投げかけられているのであろうか。
それは、主イエスの弟子たちに対してである。主イエスを信じ、主イエスに従う者たちへ。今、現在のクリスチャン全員に対して。
互いに、認め合い、尊重し合い、そして「和」して、つまり和解し合い、「合」して、つまり一致して、この世という仮りの住まいで、助け合って、愛し合って暮らしなさい、と言うことなのだ。
もし私たちクリスチャンが腐敗し堕落したとしたら、それはもはや「塩」の役目を果たさないものでしかなく、主イエスが言われた通り、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけとなってしまう。
そうならない為にも、私たちは、聖霊の火によってつけられた塩気を保ち、世の塩として、少しでも世の腐敗を遅らせ、また置かれた状態を保つ者として、いのちのみ言葉と共に、日々励んで行きたいものである。》