◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月18日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書10章9節】
10:9 「こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
◎ショートメッセージ
《主イエスは、「結婚」についてパリサイ人や律法学者たちに教えられた。
「創造の初めから、神は、人を男と女に造られた。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になる。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのである。」
その後に続いて言われたことが、今日の聖書箇所となる。
父なる神は、最初の男性アダムに、その助け手として女性エバを与えられた。聖書に書かれた言葉が真実であるならば、この時、この地球には、この世界には、男性と女性は、この二人しかいなかったことになる。
父なる神は、唯一の男性アダムに、唯一の女性エバを与えられた。まさしくオンリー・ワンの存在として。
今、世界中には、多くの男性が存在し、また多くの女性が存在していることは言うまでもない。結婚適齢期の男性と女性の数を数えるとしたら、日本だけでも、一体何万人になるのであろうか。
未婚の男性も女性も、結婚相手を選ぶことが出来る。日本人同士ではなく、国際結婚ももちろんあり得る世界だ。
しかし、そのような状況であったとしても、聖書の法則は当てはまる。
結婚式をあげ、晴れて婚姻届けを提出し、夫婦となった二人は、お互いに自分たちで、ベストの相手を選んだかのように思えるかも知れない。
実は、その夫に取って、またその妻に取っては、聖書の法則が適用されていて、その相手は、かつてこの地球にアダムとエバだけが存在したように、神が選び給うたものなのである。
恋愛結婚であろうと、見合い結婚であろうと、神がその方法を用いられて、互いを引き合わせ、そして結婚に至らせたのだ。
それゆえ「人」は、神が結び合わせたものを引き離してはならないのである。
この場合の「人」とは、一体誰を指すのか。
まずは、その夫と妻以外の「他人」である。あるいは「親」かも知れない。他人によって、無理矢理に離婚させてはならないと言うことだ。
そして次に、その夫、その妻自身を指す。
神は、主イエスは「結婚」を祝福される。しかし「離婚」を憎まれるのである。
今の時代、夫による妻への暴力の存在が、取り上げられるようになった。おそらく、それは昔から存在していて、ようやく明るみに出されて来たとも言える。
特に日本は、「まことの神の言葉」である「聖書」を、ないがしろにして来た国である。
使徒パウロは、はっきりと夫と妻の関係を、このように教えている。
『妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。
「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。(エペソ人への手紙5:22~5:33)』
もし夫と妻が、この「み言葉」に従って生活したのなら、「離婚問題」などは起きるはずがない。聖書に従ってこのことを実践したのなら、間違いなくこの夫婦は、幸せな夫婦で有り続けることが出来るはずだ。
「聖書」は一言一句誤り無き「神の言葉」である。それは、まさに「人」の取り扱い説明書である。創造主なる神が、私たち人間に、与えられた掛け替えのない書物である。この書物には、どうしたら人が幸せになれるか、幸せに生きていけるかが書かれてある。
そしてそれだけではない。この地球が創造されてから、また人間が創造されてから、どこへ向かっているのか、過去だけではなく未来の預言をも書かれている。
そして神が選ばれた民であるユダヤ人こそが、人類の歴史の時計の指針の役割を果たしているのである。
今は、まさしく終末の世界の中にいる。主イエスが再臨なされるまで、もう秒読み段階に入った、と言ったとしても、決して言い過ぎではない。今は午後11時59分50秒である。あと10秒で、「新しい年」がやって来る。残された時間は、あと10秒なのだ。》