• 日々のみ言葉 2016年1月20日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年1月20日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書10章13節】

    10:13 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエス様は、弟子たち一行を連れて、ヨルダン川を渡り「ヨルダンの向こう」に行かれました。
     そして、そこにおいても主イエスの教えを求めて集まって来た人々に、ていねいに易しく教えられたのです。また病気のいやし、悪霊追い出しなどのミニストリーをなされました。それから、再びもと来た道を通られ、カペナウムにあるガリラヤ宣教の拠点、シモン・ペテロの家に戻られたのです。
     もちろん、時刻は夕方ですし、日が沈み、ユダヤ暦では新しい一日が始まろうとしていました。
     おそらくペテロの妻や姑が、主イエス様をもてなそうとして、てんてこまい、いや大忙しで、夕食の準備にあたっていたに違いありません。

     そこにです。子供を連れた母親たちが、ペテロの家に押しかけて来た、と言うわけなのです。

     何ゆえ「人々」は、つまり母親たちは、主イエスの御もとに子供たちを連れて来たのでしょうか。

     マルコは、「イエスにさわっていただこうとして」と、書き記しています。

     この時、母親が連れて来た子供たちは、病人ではありません。なぜなら、もし病気の子供がいましたら、マルコは「いやしてもらう為に」と、書き記したはずだからです。

     当時、著名なラビによって、子供たちに按手によってふれてもらうことが、その子のこれからの人生における大いなる祝福になることが信じられていました。

     これは創世記に、その雛形が書かれていることから由来しているとも言えます。

     創世記48章によりますと、

    『すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。それから、ヨセフを祝福して言った。
     「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。また彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」(創世記48:14~48:16)』と書かれてあります。

     ところがです。弟子たちは、母親と子供たちをしかったのです。

     何ゆえでしょうか。
    「イエス様が、ようやく休んでおられるのに、なぜイエス様を疲れさせるようなことをするのか。」と言う思いが、弟子たちの中にあったとも言えます。
     また、大勢の母親たちが子供たちを連れて来たのです。大人とは違って、子供たちはじっとしているはずがありません。今でも教会で走り回ったり、いたずらしたりして、子供たちの元気な姿は、言わなくても誰もが知っていますね。
     もしかしたら、生まれたばかりの赤ちゃんや幼ない子もいて、泣き叫んでいたかも。

     もし、そうだとしましたら、弟子たちの方が、その騒がしさに閉口してしまったかも知れないのです。また、主イエス様も困っておられるに違いない、と思ったはずです。
     それゆえ、もはや我慢の限界を越えた弟子たちは、「母親と子供たちをしかった」とも思われます。

     この後、主イエス様は、弟子たちを叱責なさいます。主イエス様の為を思ってやったことが、裏目に出てしまうことになるのです。これは私たちにも良くあることではありませんか。

     私たちが神様の御心、主イエス様のお心を知るには、御前にて静まる必要があるのです。一人っきりの部屋において、主イエス様の御前に、心からひざまずく時に、聖霊様が来てくださいます。そして聖書のみ言葉と共に、お心を教えてくださるのです。》

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