◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月24日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書10章18節~19節】
10:18 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。
10:19 戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」
◎ショートメッセージ
《主イエス様が道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねたのでした。
「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
この記事は、マタイとルカの福音書に平行記事として記載されています。マタイから「ひとりの人」は青年であることが分かります。
そしてルカによると、彼は「役人」であったことも分かります。この「役人」とは、単なる役人ではなく、ユダヤ最高議会サンヘドリンの議員であったようです。
この議会に所属する議員は71名で、その中の一人であるとしたら、彼は、青年でありながら、名誉と地位を手にしていた成功者であります。そして、多くの財産を持っていたと言うことが、後ほど分かります。
主イエス様は、彼に答えられました。
「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。」
最初に、彼は主イエス様に「尊い先生」と言いました。その時、彼は主イエス様の御前にひざまづき、主イエス様の行く手をはばんだことは、昨日学んだ通りです。
主イエス様は、彼のその言葉を受け入れず、むしろ否定され、そのお答えには、叱責さえ含まれている感じがいたします。
「尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。」
この主イエス様のお答えには、一体、どんな意味が含まれているのでしょうか、考えて見ましょう。
まず彼は「役人」でした。しかもユダヤ最高議会サンヘドリンの議員であったと言うのです。と言うことは、パリサイ人もしくはサドカイ人であった可能性が大きいと言えます。
彼は、何時、主イエス様の教えを耳にしたのでしょうか。なぜなら彼は、「永遠のいのち」について知っているからです。そして、そのカギを握っているのが主イエス様だと確信してもいます。そして本当に、真剣に「永遠のいのち」を求めていることも、間違いありません。
「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。」
しかし、主イエス様は「尊い先生」ではなく、神様であるのです。ここで、主イエス様は、ご自分こそが、旧約聖書に預言された「メシヤ」であり、ダニエル書に書かれた「人の子」であることを、「神の御子」であることを、彼に教えておられるのです。
そして、さらにそれを良く分からさせるために、
「戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」
と、モーセの十戒を引用されたのです。
主イエス様は、彼の質問に対して、明確にはお答えになりませんでした。実は、彼自身が、自分の本当の姿に気づくために、彼を導いておられるのです。
さて、話は変わりますが、「十戒」は、まさしく父なる神が、そして子なる神である主イエス様ご自身が、聖霊様と共に、人間に与えられた戒めです。
そしてその戒めは、今でも生きており有効なのです。「十戒」の意味を要約すると、「神様を愛し、自分を愛し、そして隣人を愛しなさい。」と言うことです。
尾山令仁師は、「旧約聖書は、神の愛について書かれた書物である。」と言われました。
神様がどれほど人間を愛されたのかが書かれてある、と言うのです。しかし私たち人間は、目に見えないもの、触れることのできないものは、なかなか実感することができません。
主イエス様は、神様がどのようなお方であるのかを、実体として教えてくれたのです。私たち人間の目に見える形で、また触れられる形で、そして直にそのお声を聞くことができ、その眼差しを見ることができるようにと、人となって来て下さったのです。
そして私たちの罪をすべて背負い「十字架」に架かられました。三日目に、よみがえって下さったのです。このお方こそが、「永遠のいのち」を与えてくださるのです。》