• 日々のみ言葉 2016年1月27日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年1月27日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書10章23節~25節】

    10:23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」
    10:24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。
    10:25 金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエス様は、彼に言われました。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

     これこそが、サンヘドリン議会の議員であった青年の真剣な求めと飢え乾きに対する主イエス様のお答えでした。
     主イエス様は、彼に「わたしについて来なさい。」と言われました。その条件として、「持っている物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。」と言うことだったのです。

     かつて主イエス様は弟子たちにこのように教えられました。

    『「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイの福音書6:19~6:21)』

     すると青年は、主イエス様のことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去ったのです。その理由が、彼は多くの財産を持っていたからと言うのです。

     主イエス様は、彼が金持ちであることを知っておられました。

     立ち去って行く彼を見つめながら、主イエス様は顔を見回され、弟子たちに言われたお言葉が、今日の聖書箇所です。
    「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」

     このお言葉を聞いた弟子たちは「驚いた」とあります。そればかりではありません。続けて主イエス様の言われた言葉に、さらに弟子たちは驚くことになるのです。

    「子たちよ。神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

     『らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい』これは、当時のユダヤでの慣用句(ことわざ)であり、その意味は、「不可能」を表わします。つまり、金持ちは救われて「神の国」にはいることは、不可能だ、と言っておられるのです。

     以前、主イエスは、このようにも教えられました。

    『「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイの福音書6:24)』

     この教えからも分かるように、人は「神」に仕えるか、それともこの世の神である「金」に仕えるのか、選ばなければならないと言うことです。

     どちらも得ようとすることは、それこそ虫の良い話なのです。

     主イエス様こそが、「真理」であり「いのち」であり「道」なのです。もちろん主イエス様は、「すべての人に持ち物を全部売り払って、貧しい人々に分け与えなさい。」と言っておられるのではありません。裕福な金持ちである青年に言われたのです。
     普通、たくさんのお金を持っている人のほうが、幸せかと思われますが、彼らは所有しているお金を、彼らが支配しているのではなく、そのお金に支配されているのです。

     しかし、全ての恵みの源は、父なる神様に有り、子なる神様であられる主イエス様に有るのです。もし、この時青年が、救い主であられる主イエス様を神様と信じ、従ったとしたら。つまり、全ての財産を売り払って、貧しい人々に分け与えたとしたら。主イエス様の素晴らしい弟子の一人になって、経済的にもさらに祝福されたことは間違いないのです。

     あなたは、この世の富と財産に信頼を置かれますか。それとも神の御子であられる救い主、主イエス様に信頼を置かれますか。》

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