• 日々のみ言葉 2016年1月30日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年1月30日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書10章28節】
    10:28 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエス様は、役人であった青年にこう言われました。
    「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

     するとこの青年は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去ったのです。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからとあります。

     一昨日と昨日の二回に分けて、この青年が誰であったのか、二つの見解について学びました。なぜか聖書は、あえてこの青年の名前を明かしてはおりません。私は、個人的には、「バルナバ」案を支持しています。
     この青年が誰であったとしても、マタイ・マルコ・ルカにおける三つの共観福音書にこの記事が掲載されていることは、やはり大きな出来事であり、また私たち、主イエス様を信じる者にとっては、とても大切な教えであると言えるのです。

     主イエス様と青年との会話を含めて、一部始終を十二使徒たちは見ておりました。

     そして、ペテロが主イエス様に、こう申したのです。
    「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」

     このような時に、最初に言葉を発するのは、おおむねペテロが多いようです。それでは、この言葉について、考えて見ましょう。

    「ご覧ください。」

     この言葉には、一体どのような思いがあったのでしょうか。
     一つは、「救い」に関する不安と迷いであったと思われます。つまり自分たちは「神の国」に入れるかどうか、と言うことです。

     なぜなら、その前に、主イエス様が、「子たちよ。神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」と言われたからです。

     もう一つは、主イエス様に、確信を求めたことです。それは、その次にペテロが続けた言葉からも明白です。

    「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
     それだからこそ、自分たちは「神の国」に入れるのですよね、と主イエス様に確認しているのです。

     確かに、ペテロを始め弟子たちは、自分の仕事を捨てて主イエス様に従って来ました。しかし、その行為とは裏腹に、心の中では、未だに、この世における富や財産、そして地位や名誉への執着があったのです。そのことは、この後はっきりと明らかにされて行きます。

     さて、主イエス様は言われました。

    『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。(マタイの福音書6:24)』

     この世は、まさに富と財産を多く持つ人が、あるいは高い地位や名声を持つ人が、成功者であり、そして幸福を手にしたかのように、繁栄こそがすべてであると訴えます。

     しかし、本当の幸福とは、その人の魂に、その人の心の中に、いかに「平安」が宿るのかが問われているのです。
     もちろん私たち、主イエス様に従う者にも、この世において生活して行くためには、ある程度のお金が必要なことは言うまでもありません。

     それゆえ主イエス様は、このように言われたのです。

    『私はあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物より大切なもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
     空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
     なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
     しかし、私はあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
     そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
     だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
     だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6:25~6:34)』

     主イエス様は、このお言葉を必ず守られます。私たちが信頼しているのは、本物の創造主なる神様なのです。今日もこのお方と共に歩んで行くのです。》

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