◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月31日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書10章29節~30節】
10:29 イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
10:30 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。」
◎ショートメッセージ
《シモン・ペテロが主イエス様にこう申し出たのです。
「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」
その言葉を聞かれた主イエス様は、一体どのようなお顔をされたのでしょうか。
きっと、微笑まれたに違いないのです。
そして主イエス様は、弟子たちに言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。」
「まことに」のギリシャ原語は「アーメン」です。この言葉の後に、主イエス様は、真理を語られます。
「わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
その百倍を受けない者はありません。」
「わたしのために」これは、主イエス様のために、と言うことです。
「福音のために」これは「良き知らせ」あるいは「神の国が近づいた」、と言うことです。そして、やがては、主イエス様の「十字架」の御わざを指すこととなります。
役人の青年に、「すべての財産を貧しい人に分け与えなさい。」、と言うことが、「永遠のいのち」あるいは「救い」の条件として、主イエス様は言われましたが、これは、そうしなければ救われない、と言うことではありません。
主イエス様は、彼の信仰を試されたのです。その時には、彼はまだ、主イエス様を信じてはいませんでした。
しかし、弟子たちは違います。役人の青年とは立場が異なります。
主イエス様と出会い、主イエス様を信じて、信仰を持って、そして自分の畑(仕事)を捨て、従ったのです。
特に取税人であったマタイと、その弟であるヤコブは、一切の物を捨てて従ったことは、間違いありません。
ペテロたち漁師は、何時でも漁師に戻ることが出来ましたし、実際に、主イエス様が復活されて後、ガリラヤ湖において漁を行なったことを、ヨハネは書き記しています。この時には、彼の持ち舟は健在だったのです。だから漁師に戻れました。しかし、取税人マタイとその弟ヤコブは、二度とその仕事に戻ることは出来ません。
そんな彼らの顔を見渡しながら、主イエス様は言われたのです。
「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。」
「捨てる」とはどういうことなのでしょうか。自分の母や父の面倒を見ず、兄弟や姉妹を見放し、また子どもの養育をも放棄し、そして仕事も放り出す、と言うことなのでしょうか。そんな無責任なことを、主イエス様は要求されておられるのでしょうか。
いいえ、そうではありません。主イエス様を第一とすることなのです。
そしてそれらのものの所有権を、主イエス様にゆだねることを指すのです。優先順位を変えることでもあります。神の国と義とを、まず第一にすると言うことでもあるのです。
そうすれば、その百倍の祝福がやって来ると言われるのです。
そして、今のこの時代においては、確かに迫害されることもあるでしょうが、その中において、何と家、兄弟、姉妹、母、子、畑を再び取り戻すようになると言われるのです。
まさしくパウロとシラスの言う通りです。
『「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16:31)』
主イエス様に、ゆだねたものを取り戻し、そればかりではなく、永遠のいのちが与えられて、今度は主イエス様にある兄弟・姉妹として取り戻すことになるのです。
また、百倍の祝福は、「献金」にも当てはまると、尾山令仁先生は教えています。主イエス様の為に献金すると、そのお返しとして、百倍以上の祝福がやって来ると言われます。しかも、それは先生本人が経験された証として、十分に説明できるとのことでした。
私たちも、「主イエス様」のために、そして「福音」のために、大いに捧げさせていただき、そして百倍の祝福をいただこうではありませんか。
卵か先か。鶏が先か。良く言われていることですが。
まず先に、私たちが捧げることが、正しい順序なのです。そしてそれから、主の祝福が、見える形となって、私たちに、捧げた以上の物が戻ってくると信じます。》