• 日々のみ言葉 2016年2月3日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月3日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書10章33節~34節】

    10:33 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。
    10:34 すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」

    ◎ショートメッセージ

     主イエス様と弟子たちの一行は、エルサレムに上る途中でした。毎年行なわれるユダヤ最大の祭り、「過越の祭り」に巡礼するためでした。
     なぜなら、「神の小羊」であられるお方が、屠られる場所は、エルサレムにおいて他にはなかったからです。
     その一番の理由は、ユダヤ教の中心である神殿があったからです。かつてソロモンによって、華麗な第一神殿が建築されました。その次には、エズラによる第二神殿が築かれ、そして主イエス様の時代には、ヘロデ大王による第三神殿が建築途中であったのです。
     余談ですが、今のエルサレムには「神殿」はありません。第三神殿も紀元70年に、ローマ皇帝ティトスによって、完全にと言っても良いほどに破壊されたからです。完成してから、わずか5年後の出来事でした。
     しかし聖書は、この終わりの時代に、ソロモンの建築した第一神殿と同じ場所であるモリヤ山に、第四神殿が建築されることを預言しています。その建築は、反キリストである世界総統によってなされるのです。最もその時には、地上のクリスチャンは、主イエス様によって携挙されていますから、実際にその目で見ることは出来ません。

     さて、主イエス様は、十二使徒たちを呼び寄せ、第三回目の受難予告をされました。

    「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」

     ルカによれば、一回目の受難予告は、ピリポ・カイザリヤでした。

    『さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」
     彼らは、答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。ある者はエリヤだと言い、またほかの人々は、昔の預言者のひとりが生き返ったのだとも言っています。」
     イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」
     するとイエスは、このことをだれにも話さないようにと、彼らを戒めて命じられた。
    そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」(ルカの福音書9:18~9:22)』

     またマタイによると、二回目の受難予告は、ガリラヤに集まった時となっています。

    『彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」
     すると、彼らは非常に悲しんだ。(マタイの福音書17:22~17:23)』

     一回目、二回目そして三回目と、主イエス様の言われた受難予告によりますと、いつも一番最後には、『三日目によみがえる』ことを、強調しておられることが分かります。
     しかし、弟子たちの霊の目は、まだ開かれておらず、主イエス様の言われる意味が、全く理解できませんでした。

     第三回目の予告では、マタイによれば、主イエス様は、はっきりとご自身が「十字架」に架けられることを預言しています。

    『さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(マタイの福音書20:17~20:19)』

     福音とは、何でしょうか。
     使徒パウロによれば、主イエス様の「十字架」の死と、そして三日目のよみがえり、すなわち復活です。主イエス様は、確かに、私たちの罪と呪いをすべて背負われて、十字架につけられ、私たちの身代わりとして死んでくださいました。
     私たちが永遠に生きるために、代わりに死んでくださったのです。そればかりではありません。三日目によみがえってくださいました。私たちがよみがえるためにです。

     弟子たちは、この時には、何も分かりませんでしたが、後ほど、彼らには、主イエス様が教えられたこと、語られたことのそのすべてが、聖霊様によって思い起こされ、そして全く別人と変えられ、主イエス様の証人になって行くこととなります。私たちもその証人の一人なのです。》

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