• 日々のみ言葉 2016年2月10日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年2月10日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書10章45節】

    10:45「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエス様は十二使徒たちを呼び寄せて、言われました。
     「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」

     そして、続けて言われたことが、本日の聖書箇所です。
     ここでも、イエス様はご自身のことを「人の子」と言われています。

     「人の子」

     不思議な言葉です。
     今まで何回か学んで来ましたが、この言葉はダニエル書からの引用です。

    『私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(ダニエル書7:13~7:14)』

     当時のユダヤの人々は、ダニエル書に書かれた「人の子」こそが、来たるべきメシヤであると信じていました。イエス様は、弟子たちに、まさしくご自身が、預言者ダニエルに預言された「人の子」、すなわち「メシヤ」であることを、何度も、彼らの魂の奥底に届くまで、宣言されておられるのです。

     最高議会サンヘドリンにおいて、主イエス様が、議会の議長を務めていた大祭司カヤパの前に、まさにそのことを証されました。
     そして、その言葉こそが、ユダヤの指導者たちへの最後通告とも言うべき「キリスト宣言」「メシヤ宣言」であったのです。

    『さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」
     そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
     しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
     イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイの福音書26:59~26:64)』

     イエス様は、真実を語られました。ご自身が「神の御子」であり、彼らが良く知っている聖書(旧約)に書かれた「人の子」こそが、ご自身であることを、はっきりと宣告されたのです。
     イエス様は、真実と真理のゆえに、罪に定められ、これから十字架に架かられるのです。

    「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

     ここでイエス様は、弟子たちに、ご自身がなぜこの世に来られたのか、を解き明かされました。
     もっともこの時には、まだ弟子たちは、イエス様が「政治的メシヤ」であると誤解し続けていました。
     ちなみに彼らが、イエス様が「救い主」であられることの本当の意味を理解するには、ペンテコステの時まで待たなければなりません。

     イエス様は、創造主なる神様であられるのに、人となってくださいました。そして私の罪のために、あなたの罪のために、多くの人々の罪のために、身代わりとなって、十字架において死んでくださったのです。

     本来ならば、創造主なる神様であるイエス様に、人間が仕えるべきではありませんか。しかしイエス様は、そうなさろうとはせず、あらゆる侮辱、屈辱をお受けになられて、十字架の死にまで従われたのです。それこそが、イエス様が、人に仕えたと言うことなのです。

     イエス様は、私に、あなたに、ご自身の命を与えてくださいました。

     なぜ。

     そうです。私たちが、永遠に生きるためにです。

     決して忘れてはならないことがあります。
     イエス様を心から信じ、口で「主」と告白する者には、本当に生ける神の命が、神の力が、勇気が、溢れんばかりに与えられていることを。

     だから、あなたは大丈夫なのです。》

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